カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の49歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

アジア杯における支那人の異常行動について

サッカーアジアカップでの日本代表戦における支那人観客の異常な観戦マナーには眉をひそめている人も多いことと思う。試合中はまあ良いとしても、試合開始前の国歌斉唱時にもブーイングが起き、さらには日本人サポーターに対して物が投げ込まれるなど、支那人観客のとんでもない行状が報道されている。かわいそうに、当地にはるばる応援しに行った日本人サポーターの中には、試合会場で罵声を浴び、すっかり萎縮してしまっている人もいるとか。本来楽しいはずのサッカー観戦でこんな目に遭うとは同情に堪えない

この異常な事態に対する説明として、多くの人やマスコミが挙げるのは「重慶は旧日本軍による爆撃などの歴史があるため、とくに反日感情が強い」というもの。日本軍が重慶に都市爆撃を加えたことは事実だ。しかしアメリカ軍が日本の都市に行ったようなほぼ無差別の大爆撃と同様のことが起きたかのように誤解し、今回の支那人の異常行動も「いたし方なし」と考えている人もいるらしいことには少々問題がある

重慶爆撃の仔細については説明すると長くなるのだが、Web上を探した中で、下記の「Weblog畑」の記述が最もバランスが取れていると思われたので参照してほしい
http://caranabe.cocolog-nifty.com/hatake/2004/07/post_10.html
補足すると重慶爆撃は所謂無差別爆撃ではなく「仕方なく無差別に近い状態にならざるを得なかった爆撃」だったというのがわしの解釈

もっと言えばそもそも九六式陸攻で戦略目標を完全に破壊するような爆撃作戦を遂行すること自体不可能なわけで、爆撃の目的は引きこもる国民党軍を疲弊させ、市民の厭戦気分を高めることにあったのだと思う

破壊力が限定的なので、爆撃が長期化したことが犠牲者数増加の直接の原因になるわけだが、爆撃が長期化したのは英米による国民党支援があったからだ。国民党が敗走し去った地では、日本軍の統治によって市民生活が安定していったのに(清野作戦の被害はあったろうが)、国民党軍が長く留まったがために重慶市民はワリを食ってしまった、というのが歴史の事実だとわしは思う

とはいえ、ほとんどの重慶市民はそんなこと知るわきゃないし、「愛国教育」の成果があの態度になっているだけの話なんだろうと思う。だからと言ってあんな態度が許されるはずはない。「重慶市民はとくに反日感情が強い」なんて話を信じるのもおかしい。日本で「広島市民はとくに反米感情が強い」なんて話はついぞ聞いたことがない。「ロンドン市民はとくに反独感情が強い」なんてこともなかろう

今回のアジアカップにおける支那人観客の態度は、社会性のなさ、文化度の低さ、幼稚な国民性の現れなのであって、その不当性は堂々と戒めるべきだ。こんな態度を近く北京で行われる五輪でも続ければ、世界中の人々から総スカンを食らうことは間違いない(その方が世界の人にとっても良いかもしれんが)

他国への恨みだけを引きずって、現在ある不満へのはけ口にするのは、自らの歴史に誇りを持てないことの証左ではないのか?

インドネシア・タイムス紙ジャマル・アリ会長の言葉

我々には、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオランダにだって要求しない