カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の49歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

東京都教委の歴史教科書採択を強く支持する

東京都が来年4月に開校する初の都立中高一貫校で使用する教科書として扶桑社刊の歴史教科書を採択したことを強く支持する

なぜ改めてこんなことを宣言したのかと言うと、この「はてなダイアリー」で歴史教育関係のリンクを辿って方々のサイトを巡ったところ、この教科書採択を「歴史歪曲」と決め付け、「戦争美化」と断じる人たちを多く見かけたこと、その事実に抗するのが目的だ

まずこういうことを言う人たちは、 何が「歪曲」で何を称して「戦争美化」と言うのか、その論理的な説明がまったく無いのが大きな特徴だ。結局のところ、表面的な悲惨さだけを踏まえての感情論や既存の「日本中心侵略史観」を拠り所にしているのがせいぜい。「南京大虐殺」や「国家主導による慰安婦強制連行」などは学術的にはもはや完全に否定されていると言ってよいのに、それらを教科書に記載せよと迫るお前らの方が「歪曲」と呼ぶにふさわしかろう

歴史というのは一元的なものではない。韓国の歴史教科書を見るがよい。まるで自らが世界史を体現し続けてきたかのような厚顔無恥の記述で埋め尽くされているぞ。奴らの歴史は英雄だらけだ。笑ってしまうほどにな。だがそれは奴らの歴史だからこそ許されるのだ。本来国史の教育とは誇りある祖国の歩みと先人たちの業績を謳いあげることで、自国への理解の深化とアイデンテティー確立を目的とするものだ

扶桑社教科書を否定する連中にはっきりと言っておきたい。お前らの歴史観こそ「日本中心史観」だ。お前らの歴史は「日本が独力で自発的に侵略を企てた」ことにしないと成り立たなかろう。お前らが「日本が」「日本が」と書きたてる度に、「侵略された」とされる側の連中のプライドを著しく傷つけていることを知った方がいいぞ

お前らは一方を悪、一方を善、あるいは一方を加害者、一方を被害者に仕立て上げなければ成り立たぬ、単純歴史観の持ち主だと自覚すべきだ。歴史の歩み、国家間の闘争とはさほどに単純なものではない

その程度の知識もない連中が20世紀という世紀を表面的に捉え、臆面も無く「戦争の世紀」などと呼ぶ。馬鹿も休み休みに言え。人間の歴史に戦争の世紀でない世紀など無い!その事実を踏まえた上で、わしは過去の戦争を肯定も否定もしない。厳しい現実に立ち向かった先人に対して、浅薄な判定などできるはずもない。戦争にも、戦争でないという状態に過ぎぬ「平和」にも功罪ともにあることを知っているからだ

扶桑社の教科書に話を戻せば、あの教科書は、はじめて日本の歴史を世界史的な流れの中で捉えた教科書と言える。歴史というのは、本来どこにも断絶など無く、絶える事ない連続性を持つものだ。扶桑社以前の教科書は歴史を「階級闘争史」で塗り固め、時代区分によってあたかも歴史に断絶が存在するかのように語るものばかりであった。奴らに言わせれば人間の歴史は「先史は階級がなく、人間に貴賤の別が生じて階級が生まれて以降、下位の階級が上位の階級に対して要求し、闘争を行い、平等を勝ち取ってきた」という共産主義の思想に立脚するものだ。だがそれは一種の宗教に過ぎない

国史教育に必要なのは、多面的に歴史を捉え、世界史的な流れの中で自国の歩んだ道を検証することだろう。その上で祖国への理解を深め、国民としての誇りを育てる。これが世界中の国史教育におけるスタンダードというものだ

無用な罪悪感や反省を促すような「教化」をすることが目的ではない。偏向した思想を実現するための虚偽や捏造にあふれた「教育」は厳に戒めなければならない。その願いが今回の教科書採択に現れただけの話だ。悔しかったら論理的に反論してみろ!