BSアニメ夜話「アルプスの少女ハイジ」
個人的にはいよいよ真打登場という印象の高畑勲作品。同じ名作ものなら「母をたずねて三千里」を取り上げてくれた方が良かったのだが、より多くの人が目にしている作品ということでのチョイスと思われる
今回はかなり演出、構図、作画などについても踏み込んだ作品論が展開され、なかなか面白かった。大林宣彦の高畑演出論はあまりに表現が抽象的過ぎて一般視聴者を退かせるに十分。高畑勲作品をちゃんと見ている人ならわかるのだけど、まあ言ってしまえば少々考えすぎ。唐沢俊一のフォローが絶妙だったためにそれでも何とかなったか?
岡田斗司夫の「この作品は見た気になっている人が多い」との発言はまったくそのとおり。岡田氏の指摘どおりこの作品は、いわゆる「なつかしのアニメ」特番で、クララが立ったシーンが何度も繰り返し放送されたせいで、なんとなく見た気になっている人が多い。前述の「三千里」もまったく同じことが言えて、ツクマン(サン・ミゲル・ド・トゥクマン)でマルコがお母さんと再会するシーンだけを知っている人があまりにも多い気がする
ハイジに関してはヨーゼフやユキちゃんは覚えていても、数々のエピソードを生んだはずのピッチーは全然知らない人がいたり、三千里だと何となくアルゼンチンにお母さんを探しに行ったことは知っていても、父親が貧しい人々のための診療所を運営していることや兄が機関士をめざしていることはほとんどの人が知らなかったりする。わしは「ハイジ」も「三千里」も素晴らしい作品だと思っているので、それが口惜しいし、本当に多くの人にちゃんと観て欲しいと思うのだ
ハイジを評して「これは実写でやるべき作品」という声がある、というような発言があったが、現実にこれを実写でやろうとしたらえらく難しいとわしは思う。例えばハイジとペーターがアルムの山をどこまでもどこまでも元気に走っていくという場面。現実にこんなに体力のある子役を用意するのは至難の業だし、カメラもあんなに長くフォローはできない。ヤギと戯れるシーンを撮ろうとしてもあんなに沢山のヤギを制御するのは不可能だろうし、その中に子供の役者を遊ばせるのも危険が多い
演出面の話で、高畑勲のリアリズムへの傾倒が語られていたが、例を挙げると「ハイジ」では前述のハイジとペーターが走る場面においても、アルプスの自然の中を走る爽快感を視聴者に感じさせることの方を優先していたのだと思うが、近年の高畑勲はその際の子どもの疲労というリアリティを重視してしまいがち、と言えばわかりやすいだろうか?
それにしても唐沢俊一氏はどこまでアニメに詳しいんだろう。とくに小田部羊一氏の名前が出たときには悶絶しそうだった。どうせならオープニングのハイジとペーターのスキップが森やすじ氏の作画で、それ自体「ホルス」の雪辱戦だった、なんてエピソードも挟んでくれたら面白かったのに