カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の49歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

古舘伊知郎に報道人の資質なし

8日のテレ朝「報道ステーション」に石原慎太郎東京都知事がゲスト出演、キャスターの古舘伊知郎と対談しているのを見た。はっきり言ってこの対談、テレビショーとしてはそれなりに面白かったが、対談そのものとしては失敗だっただろう。例えて言うなら「喧嘩の野次馬」レベル

古舘はあくまで「ショー」型の人間で、報道キャスターとしての資質に著しく欠けるという点については、もはや異論がないことと思う。まず第一にあまりにも不勉強だ。番組中でも古館はキャスターとしての経験の少なさを進行の拙さの理由としていたが、それならば謙虚に相手の話に耳を傾けるべきだ。断片的かつ表面的な「情報」だけを頼りに強引に自らのペースに巻き込む古舘の手法は、バラエティーでは芸として許されても、仮にも「報道」の名を冠する番組では許されるものではない

昨夜の「報道ステーション」では対談の内容が明らかに古館の能力の対応範囲を超えており、番組ホストであるにも関わらず脈絡の無い主張を繰り返しては石原氏にたしなめられるという体たらく。ロクな知識も持たずにただ一人興奮して息巻くだけの古舘が相手では、知事が苦笑してはぐらかしたのも当然というものだろう

ここで放送をご覧になられなかった方のために、古館と石原知事のやりとりの全文がbibunさんの「bibunの日記」で紹介されていたので誠に勝手ながら拝借させていただきます。(採録作業の労苦に心よりの敬意と謝意を表します)
http://d.hatena.ne.jp/bibun/20041108
http://fula.jp/blog/image/houdou_st_2004.11.08.txt2007年2月追記
(筆者注=文中の「チープレイ(?)」はおそらく「チープレイバー」すなわち「低賃金労働者」と思われます)

これを読めば、いかに古館が取り乱し、支離滅裂になっていたかが十分にわかっていただけるかと思う

一点どうにも看過できないのは、学校行事での国旗掲揚、国歌斉唱に触れ「自由に任せればいい」と発言した点。この論拠として園遊会での天皇陛下の発言を挙げていたが、わしはこの発言について古舘とは正反対の見解だ。そこで園遊会での天皇陛下の発言について詳述してみたい

都教育委員のプロ棋士米長邦雄氏が「日本中の学校で国旗を揚げて、国歌を斉唱させるのがわたしの仕事でございます」と発言。これに対し天皇陛下は「やはり強制になるという考え方でないことが望ましいですね」とお応えになられた

これをもって「国旗国歌の強制はいけない」と解釈するのは良いが、「法制化を批判している」とまで見るのは我田引水というものだろう

確かに祖国を愛する心は自然に培われるのが望ましい。しかるに祖先を卑下し、愛国心を否定するような教育の現状は、国旗国歌に対するときの国民の感情を歪めている。そのことにより国旗国歌の法制化、さらには教育現場での半ば強制的な国旗掲揚、国歌斉唱の指導徹底を余儀なくさせられた。天皇陛下はそのような病んだ教育の形を嘆かれ、「強制でない」ことを望まれたのだとわしは考える

話が逸れたが、石原氏の発言は「法に基づいて公立学校教諭を指導監督するのは当然」という主旨かと思う。わしはこれについては全面的に賛成なのだが、頭の不自由な古館君にはどうも理解できなかった模様なのでごく簡単に説明してあげよう

古館は学校行事の国歌斉唱時に教師が起立せずに斉唱を拒否することを是認するらしい。では校歌斉唱時に「校歌の内容が気に食わないから歌いませんし、起立もしません」という教師がいても同様にそれを是認するつもりだろうか?あるいは運動会の前のラジオ体操を「軍事教練に酷似しているから座っています」と拒否する教師がいても許すのだろうか?社会における集団行動時の規律を学ぶ過程にある学生の前で、明らかに規律を乱す教師の行状を「内心の自由」などで許容するのだろうか?自分の子供がそのような教育を受けても良いのか?

ある程度の合意のもとに作られたルールを共有する組織の下では、それが自分の意思に反しようとも守り従うのが組織の一員として最低限の義務というものだろう。そこから逸脱する者は「自由」ではなく「無法」とされるのではないか?古舘は「強制的なもの」「体制側的なもの」に対する単なる嫌悪感のみで言っているのだろうが、それが「自由」の有効範囲を大きく踏み外してしまっていることに気づかないのだろうか?それとも「国旗国家の問題は校歌の話とは違う」とでも言うのだろうか?だとしたらそれはダブルスタンダードと言わざるを得ない

さんざん噛み付いておいてなんだが、古館と石原知事のやりとり全体を見ていて、古舘はある意味正直な男なのだろうとも思った。自分の平和ゼッタイ主義的価値観を包み隠すこともなく、石原氏に論争を挑もうとしたのだが、結局論理的に勝ることができず、激高した挙句醜態を晒してしまっただけの話。こんなとき田原総一朗なら大声で相手を制して、もっともらしいことを並べ立てた上でCMへなだれ込むだろうし、久米宏なら捨て台詞でこれまでの議論すべてを相対化するとともにCMへ逃げるという手に出たことだろう。が、古舘にはそこまでの狡猾さはなかったようで、支那共産党指導者風に言うならその辺は「評価する」ことにしてやろう(笑)