カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の49歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

アウシュビッツで反戦を誓う?

3日の岩手日報夕刊声欄、28歳会社員男性の「虐殺の地訪れ反戦貫く決意」と題された投稿。ナチス・ドイツの犯罪行為に対する典型的な錯誤が見られたので、全文掲載し教材とさせてもらおう

 先日ポーランドに行く機会があり、アウシュビッツ収容所を訪ねた。第二次大戦時、ナチス・ドイツがユダヤ人を中心に大勢の人を収容し虐殺した場所である。
 福島県にあるアウシュビッツ平和資料館へは行ったことがあり、その残虐、非道なやり方に言葉を失ったことを覚えている。実際にその場に立ってみるともっと何とも言えない雰囲気だった。
 まず、その広大な敷地にびっくりした。それだけなら何でもないのだが、ここが大勢の人間を殺すためだけにつくられたものであったのだと思うと、背筋が凍る思いだった。ここに連れてこられた人々は身ぐるみはがされた。
 眼鏡をしている人は眼鏡を義足の人は義足を、入れ歯の人は入れ歯を取られ、さらに髪の毛もそられたそうである。それをドイツ軍はあますことなくいろいろな物に使っていたというのである。
 これはもはや人ではない。このようなことが現実に起きていた。よく「戦争は人を人でなくする」という言葉を耳にするが、そのとおりだと実感した。
 この現実に起きた事実を重く受け止め二度と同じ過ちを繰り返してはならない。私自身、反戦・平和を訴えていこうと強く思う旅になった。

この人が書いていること自体に概ね間違いはない。問題は「ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺」と「戦争の災禍」を単純に結び付けてしまっていることにある

いわゆるナチスユダヤ人虐殺は一民族を排除、抹殺する「政策」として為されたものだ。この政策が実行された時期が第二次大戦と重なり、ドイツの占領地域でも行われたことから、戦争とセットであるかのように語られることが多いが、本来この政策はナチス・ドイツの戦争とは何の関係もない

ナチスの政策がすべて戦争と結びついていた(=悪)と考えるのなら、何もアウシュビッツでなくとも、例えばアウトバーンを走りながら反戦・平和を誓えばよいという、わけのわからん話になってしまう

まあそれは冗談としても、ドイツはユダヤ人を相手に戦争をしていたわけではないし、米英はユダヤ解放のために戦争をしたわけでもないことくらいは理解してもらえることと思う。つまりアウシュビッツで何かを誓うのなら、それは「不戦」ではなく「人命尊重」や「人種(民族)の平等」の類ということになろう

一応フォローしておくと、この投稿者はアウシュビッツから一足飛びに「9条改正反対」だとか「靖国参拝中止」だとかに走らないだけ、比較的冷静な人だと言える。大上段から浅薄な知識を振りかざすことなく、身の丈の範囲で語っているところには好感すら覚える。凄惨な過去を目の前にして思考を停止することなく、事実認識を深めて欲しいものだ

米国の東京大空襲や広島、長崎への原爆投下は、戦時における民間人虐殺という明確な戦争犯罪の体を成しているが、ナチスユダヤ人虐殺は民族抹殺という国内政策であり、通例の戦争犯罪とは峻別される。これは基礎知識として抑えておきたい