カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の49歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

本日の社説。どこにお説があるんでしょう?

9日付の朝日新聞社説。町村外相の発言を批判する内容だった
http://www.asahi.com/paper/editorial20050609.html
たぶんすぐ消えてしまうので引用

日中協会会長でもある野田氏は、小泉首相靖国神社参拝などでこじれにこじれた関係を解きほぐそうと訪中した。本来、政府が責任をもつべき仕事である外交で政府がしくじっている時に、見かねて動いた議員外交を「無用のごますり」とおとしめるのはいかがなものか

「しくじっている」というのは主観に過ぎない。なあなあの「友好」が続いている状態を良好な関係と見なすかどうか?外相の戦略を無視して独走した議員を「ごますり」と見るかどうか?どちらも単なる見解の相違というものだ

町村氏はさらに、歴史教科書に対して軍国主義を賛美しているなどと近隣国で批判されていることにこう反論した。

 「教科書を執筆している人たちは左がかった人たちだ。左がかった教科書でないと日教組に採択されない。ゴルフでいえば左OB(境界外)すれすれの教科書を書くのだから軍国主義を賛美するわけがない」

 反発を呼んでいる扶桑社の教科書については中道であるとし、「したがって教科書問題はスローガンと偏見だけで批判されている」と述べた。

 文相を経験し、教科書問題にも詳しい町村氏の持論なのかもしれない。だが、日本の教科書を擁護するためとはいえ、「左がかっている」「日教組が採択」という言葉はあまりに乱暴だ

普通こういう大臣の発言を批判をするのなら、事実関係を明らかにして、何をもって「乱暴」とするのかを述べなければ論評として失格であろう。しかしこの文章にはそれが無い。これではただの中傷というものだ

町村氏は「左がかった連中が軍国主義を賛美するわけがない」と発言したが、わしはこれには異を唱える。なぜなら、左がかった連中は日本の「軍国主義」は必死になって非難するが、支那、朝鮮の軍国主義は「解放勢力」として賛美したがるからだ

それはさておき

同じ日、外相の諮問機関「ODA総合戦略会議」ではこんな発言をした。

 「首相が靖国神社に行ったから軍国主義だとか批判はあるが、とんでもない。赤字国債を出してまでODAを一生懸命出し続け、90年代は第1の供与国だったことは胸を張って言える」

 日本が軍国主義でないことも、途上国援助に努力してきたことも事実だ。だがそれらを結びつけてしまうと、多額のODAを出しているのだから靖国参拝を批判すべきでないと聞こえないか。

だったとして何の問題があるのか書け。「配慮が必要だ」では答えにならん。そもそもこれは「ODA総合戦略会議」という場に合わせた発言なのだから、前後を勝手に結びつけること自体おかしい。ご注進の材料集めにしか見えんぞ

町村氏はいま、国連安保理常任理事国入りに奔走し、年内の日中首脳会談の実現を目指すという。韓国とは近く首脳会談がある。こうした仕事と一連の発言は外相の中でどう響き合っているのか。

 政治家がわかりやすい言葉で率直に考えを述べることは歓迎するが、外交責任者としての責任と払うべき配慮があることを忘れてはならない。

まったくそのとおりだが、なればこそ町村氏の一貫した姿勢には意味がある。「今までのように思い通りにはさせない」という中韓への強烈な外交的アピールになろう。外務大臣として当然の仕事の一つだと思うが

だいたいこの「社説」のどこに自分の意見があるんだ?どう読んでも「せんせー、まちむらくんが悪口を言ってました〜」という告げ口にしか見えんのだが。価値観が違うと言うのなら、自らの正当性を実証した上で批判をせんかい。これでもプロの文章か