カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の49歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

マスコミの犯罪分析に物申す

このところ神奈川県をはじめとし、いわゆる美少女モノなどのゲームソフトを「有害図書」に指定する動きが強まっている。この動きは5月に発覚した少女監禁・暴行事件の犯人の部屋から千本もの「調教ゲーム」が押収されたことなどを受けたものだという

この手の凶悪事件が発生すると、必ずマスコミはこぞって犯人の「心の闇」を探し出そうと躍起になる。もしも犯人が猟奇ビデオ(アニメだったりすると効果倍増)やら監禁調教ゲームの類を所持していれば、ここぞとばかりにこれらを「真犯人」に仕立て上げ、都合のよい「識者」のコメントを添えてその論理性を強化する。ゲームが脳の劣化を促すとする「ゲーム脳」の仮説などはそれらマスコミが創り出した「定説」の典型的な事例と言える

こういうのを見るといつもわしは「待てよ」と思う。マスコミの論理展開を整理すれば「個人の嗜好がビデオやゲームによって増幅されて犯罪に至る」ということになる。だが事実はどうか?エロビデオや美少女ゲームには本来性風俗などと同じく「社会のガス抜き」的効果がある、ということはある程度多くの人に認めてもらえることと思う。もちろんそれが第一義では無いし、すべてが犯罪抑止に役立っているなどと言うつもりも毛頭ない。しかしそう考えれば、「犯人の自宅から千本のゲームソフトが見つかった」という事実一つを取っても「千本のゲームが犯罪を助長した」と考えるよりも「千本のゲームで遊んでもガス抜き仕切れなかった困ったちゃん」と考える方が、より自然だと思うのだがどうか?

結局、猟奇事件を起こす人間の「気持ち悪さ」を端的に示す演出の材料が欲しいだけの話ではないのか?事実、同じような犯罪者でも「おとなしくて、まじめ」なだけの人間というのもいる。しかしそういう犯人は演出的に「おもしろくない」のですぐにマスコミの話題から消えてしまう。先日、教室で爆発物を投げつけた高校一年生を思い出して欲しい。彼などはその性癖についてとくに際立った(興味深い)面が出てこないため、このまま話題からフェードアウトしてしまう可能性が高い

見ていてとくにイライラするのが、識者やらタレントやらが競って行う犯人の心理分析ごっこ。犯罪心理の専門家ならともかく、有象無象のコメンテーターやジャリタレにそんなことをさせて何の意味があるのか?といつも思ってしまう。犯罪者の心理は本人以外にわかるわけもなく、バカはバカだし、狂ってるヤツは狂ってる。わかりやすい外的要因をスケープゴートに仕立てる作業は差別と社会不安を増幅する手助けにしかならんだろうと思う

あえてわしが近年の犯罪に多く見られる原因を挙げるとすればそれは、「帰属意識の欠如」なのではと思う。国家や学校や家庭に所属しているという意識、それらが欠落しているから被害者の背景が想像できないのではないか?犯罪を犯した後の自分や家族の迷惑、苦労まで思いが至らないのではないか?と思うのだ。過度に個人主義を奨励し、自由と権利を強調するあまり、コミュニティの一員としての自分を忘れ、悪事を悪事とも考えぬようになってしまっている、というのは言い過ぎだろうか?

いずれにしてもゲームソフトやビデオに犯罪の原因を求めるのは、どうにも論理的に無理があるとしか思えない。あまり意義の感じられない分析に走るより、社会一般における倫理観の啓蒙と確立に力を注ぐ方が、犯罪防止には有効だろうとわしは思う