「イノセンス」
2004年4月、ワーナーマイカルシネマズ北上にて鑑賞
- 出版社/メーカー: ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
- 発売日: 2004/09/15
- メディア: DVD
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全編笑いなし、目だったアクションシーンもなし、というおおよそ万人向けのエンターテインメントとはなり得ない内容
わしのように押井守作品を見慣れていて、前作もそれなりに理解できている(と思われる)人間であれば、そんなにわかりにくいストーリーではない。むしろどちらかといえばストレート。愛玩人形(はっきり言うとダッチワイフのこってすな)の中にゴースト(魂?)をダビングされた少女の解放、という言葉にすると非常に簡潔になってしまうお話だ。無論これは映画の展開を形骸的に捉えれば、の話。作者の意図がそんな物語そのものとは別なところにあり、むしろ物語は添え物に過ぎないと思われる
物語自体はシンプルなのだが、登場人物たちの台詞に説明的なところがほとんどなく、連発される難解なフレーズ。この辺りがこの映画をとっつきにくいものにしている原因だろうと思われる。わしのように理論的な解釈が成り立たないと納得できないという向きには、わかりにくい場所はとりあえず置いておいて、すばやく切り替えることが必要になるだろう。ま、映像の美しさやサイバーチックな表現を見ていればそれで楽しい、というような感性第一の人には、そうした心配は無いのかもしれないけど
この映画のテーマ(?)は、最後にバトーが少女に発した台詞に集約される、とわしは解釈した。自らもその身体のどこまでがオリジナルでどこからが擬体かわからなくなっているバトー。彼が愛した(?)素子は肉体すら無くし(肉体を持つ意味自体を無くしたのだが)、ネットの海に生きる命になっている。そんなバトーにとっては肉体は単なる物理的な存在にほかならず、命を吹き込まれた物体は、すべて人間と同列になってしまう。だからこそ、あの台詞になったのだろう。しかしこの辺の解釈は言葉にすると、すげえ陳腐になる
昔からの押井ウォッチャーのわしから見れば「またかい」って映画なのだが、大々的に宣伝されてただけに何の予備知識もなく見に行っちゃった人も多いんだろうなあ。ご愁傷様。あ、でももしかしてマトリックス見た人ならそれなりに理解できちゃったりするのかな?でもそういう人にははっきり言っておきたい。マトリックスは「イノセンス」の前作「GHOST IN THE SHELL」のパクりなんだよ!と