カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の49歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

ツッコミドレミファドン

教育基本法の改正論議。与党は「対案を出せ!」「改正は時代にそぐわないから」、野党は「現行法を生かせ!」「戦前回帰を許すな」といった案配で、本当のところいったい何が論点なのか一般人にはイマイチよくわからない状態になりつつある感がする。ではネット住人は左右双方どう見てるんだろう?と思い、いろいろ検索してみたら、こんなページを見つけてしまったので今回はとりあえずその件は置いておいてツッコミに終始することにする
http://www.eonet.ne.jp/~9jou-nenbutsusha/page160.html#lcn002
詳しい内容はリンク先をご覧頂くとして、ツッコミどころを挙げていくと

つまり、自分の命を投げ出してでも国を愛し、何も考えることなく言われたことだけを黙々とする人間を生み出したいのですね。

(゚Д゚)ハァ?
教育基本法改正案より

(教育の目標)第二条 
教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
1 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
2 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。

「創造性を培い、自主及び自律の精神を養う」ってハッキリ書いてるやん!では、これに対応する現行法の内容はと言うと

教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

目指す方向性は同じでも、現行法の方がよほど曖昧で意味不明瞭だと思うのはわしだけ?

んで、更にこう続く

このことを最もよくあらわしている発言があります。この発言は、教育課程審議 会(文相の諮問機関)会長として「ゆとり教育」の理念を導入した学習指導要領を つくり、元文化庁長官でもある三浦朱門という人の発言です。
 今の「ゆとり教育」の導入や、「教育基本法」の改正によって、経済界や国家が どのような日本人を育てよとしているかがよくわかると思います。

 「できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることば かり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人 でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才に は、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいいのです。(略)それが〝ゆとり〟 教育の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただ けの話だ」(斎藤貴男『機会不平等』文春文庫)

 どうでしょうか、言葉がないと思います。今、日本の教育が目指しているのは、 1%のエリートと99%の非エリート。99%の非エリートは、1%のエリートのため に働き、いざというときには命を投げ出せと言っているのです。

この方は「ゆとり教育の導入」と「教育基本法改正」はセットの謀略であるかのように語っているのだが、本当にちゃんとこの問題を研究してるんだろうか?

今般の教育基本法改正論議は「ゆとり教育」の「導入」ではなく「見直し」とセットになっていると思うのだけど、、、

どうもこの方、自分に都合の良い資料だけをつまみ食いした結果、支離滅裂になってしまった模様

この方の主張に対応した部分を現行教育基本法の中で探すと、どうやら以下の部分になるみたいなのだが

(教育の機会均等)第3条 

すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって就学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

現行法でも「その能力に応ずる教育」とあるし、改正案ではさらに明瞭な文に書き換えられている

(教育の機会均等)第四条

1 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。

「機会の平等」という精神はしっかりと引き継いでいるし、すっきりしてわかりやすい。これをどう読めば「1%のエリートと99%の非エリート。99%の非エリートは、1%のエリートのため に働き、いざというときには命を投げ出せ」と読めるのか理解に苦しむ

この方の「宇宙的論理の飛躍」は、一つの文章の解釈は、読む側の思惑によって如何様にも曲解可能、ということを端的に示している。それ以外に学ぶべき点はない