歪曲される「創氏改名」
ジェームス三木脚本・演出で「族譜」なる舞台の公演が昨年秋に開催されていた。梶山季之の同名小説を原作とするこの舞台は日本統治時代の朝鮮半島における創氏改名をテーマとしているのだが、あまりにもいい加減な認識のもとに作られていたようなので、あえて公式サイトではなく、その舞台を観劇して感激した(らしい)阿呆な共産党員の感想を晒して検証してみたい
http://www.ichiko-terumi.jp/letter/html/1162679541.html
まずこの無茶苦茶な歴史認識から
日本と朝鮮は長い歴史のなかで、交流を深めてきました。しかし、豊臣秀吉、加藤清正などが侵略の限りをつくした歴史もありました。徳川時代は友好を取り戻して平和な交流が続いたといいます。
はぁ(嘆息)。秀吉と清正を列記するなよ。朝鮮出兵に関連する武将の中で知っているのがそれしかいないってことがモロバレだぞ。秀吉の朝鮮出兵は支那を中心とした東アジアの歴史のごく自然な流れの中で為されたものだ。民族統一の後、他民族を駆逐あるいは併呑しつつ中原へと歩を進める、というごくごく典型的なパターン。事実秀吉の明征服(朝鮮出兵はあくまでその一環)が失敗に終わった後、北方の満州(女真)族が朝鮮に進駐し、後に中原を征服しているではないか
対して明治以降の朝鮮半島をめぐる動きはすべて安全保障の必要上から生じたものだ。しかも当初から「併合」を目的としていた事実はなく、併合の直前まで朝鮮の自立を模索している。少なくとも日清戦争で日本が求めたものは朝鮮の独立であり、それは下関条約を見れば明らかだ
戯れ言に付き合うのはこれくらいにして、舞台の内容に触れよう
朝鮮の植民地化をすすめ、皇民化をすすめる日本政府、「創氏改名」 の命を受けて何回も日本人役人の谷は訪れ、改名の説得にあたります。
まあここまでは良いとしよう
しかし、親日家であった地主のソル氏は700年に渡り受け継がれてきた族譜を見せて、自分は一族の当主として 「姓」 を変えることはできない、と語ります。
まず「創氏」と「改名」は本来別個に考えなくてはならないのだが、この市古なる共産党議員にはその区別が出来ていない。これが既に族譜そのものを理解していないことの証拠。この舞台では「創氏」が問題となっているようなので、今回は「創氏」に限って話を進めたい
簡単に言えば「創氏」は強制で「改名」は任意(登録制)だったわけだが、「創氏」とて日本人の考える「氏名」を無理矢理変えさせられたわけではない
朝鮮では男女が婚姻関係を結んでも姓は変わらない。日本では女性の側の氏*1が変わる。朝鮮のそれは父系の血縁を重視する伝統的な家族制度によるものなのだが、日本と朝鮮が合邦するにあたり、戸籍を整理し日本式に近づける必要性から「創氏」は行われたものと考えられる。要は朝鮮式の名前は「(本貫)姓+名」で日本式は「氏+(姓+)名」なので、戸籍を整理するにあたって朝鮮人にも「氏」を設定させたものだ。新たに「氏」を設ける際、まったく新規に佐藤や鈴木のような日本式の氏名を申請しても良いし、申請無き場合は家長の「姓」を「氏」として採用した。これが「創氏」の実態である
「創氏」は呼び名としての姓すら変えることは強制していない。舞台に登場する「ソル」氏の場合、例えば(本貫・姓とは別に)「薛(せつ)」氏として先祖代々の姓を守ることは可能なわけだ。しかも「創氏」では族譜の本貫*2と姓は残したまま新たに「氏」を創るという形を取っている。例えばこの「ソル」氏の本貫・姓が慶州薛だった場合*3、その部分はそっくり戸籍上に残したまま「薛(せつ)」なり「佐藤」なり「山田」なりの氏を立てればいいわけ。つまり制度上「ソル」氏が苦悩する理由は皆無なのだ
にもかかわらずこのノータリン共産党議員はこう続ける
このあやまりを日本は反省したのでしょうか。していないのでは。
そして、いま、戦争を放棄し、一切の交戦を放棄した憲法9条を変えようとしています。
日韓併合も創氏改名も本来まったく戦争とは関係の無い話なのにどういう脈絡でこういうことを言うのやら。反省を口にするのなら少しは勉強せいや