カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の47歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

テロは許せませんね。はい、そうね

あまりに突っ込みどころ満載だったので連日全文引用
http://www.asahi.com/paper/editorial20070419.html

長崎市長殺害―テロへの怒り共有しよう
 暴力団の凶弾に倒れた伊藤一長長崎市長が、帰らぬ人となった。
 何とか一命をとりとめてもらいたいと願っていたが、かなわなかった。心から哀悼の意を表したい。
 今回の事件が意味するものは何なのか。あらためて考えておきたい。
 逮捕された山口組系暴力団幹部の男は、動機について市発注工事の現場での交通事故の補償をめぐる恨みなどを供述しているという。いまのところ、政治的、思想的な背景をうかがわせるものは出ていないようだ。
 しかし、容疑者の挙げる動機がなんであれ、この凶行が民主主義に対するテロであることに変わりはない。

 首長や議員は国民に選ばれ、その代表として行動する。そうした政治家が暴力にさらされ、自由に活動できないようでは、民主社会は成り立たない。
 まして、今回は有権者に選択を問う選挙の真っ最中だった。核廃絶運動の強化などを公約した伊藤氏から政治活動の機会を奪い、伊藤氏を支持する有権者から選択肢を奪った。
 民主主義の根幹である選挙を暴力で破壊する。その罪は、いくら批判しても批判しきれない。
 伊藤氏は1995年、右翼に銃撃された本島等市長の5選を阻んで、初当選した。この保守政治家を反核の「平和市長」に育てたのは、被爆者や市民、市幹部らだった。伊藤氏を狙った凶弾は、結果として、そうした人々にも向けられたものであることを忘れてはならない。
 政治家や経済人、言論人を狙ったテロは戦前から枚挙にいとまがない。
 戦後も、浅沼稲次郎社会党委員長が刺殺され、中央公論社の社長宅が襲われ、お手伝いさんらが死傷した。右翼だけでなく、左翼の過激派によるテロもあった。
 朝日新聞社阪神支局が襲われ、記者が殺された。靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)をめぐる昭和天皇発言を報じた日経新聞本社に火炎瓶が投げつけられた事件では、右翼活動家の男性が逮捕された。
 テロがなくならないからといって、絶望したり、ひるんだりしてはいけない。それは暴力で相手を黙らせ、社会に恐怖心を植えつけて、自らの主張を通そうとする勢力の思うつぼだからだ。
 実家と事務所に放火された加藤紘一・元自民党幹事長は、今回の事件を聞いて「暴力で発言や行動をとめることがあってはならないという怒りをもっと強く共有しないと、こういう事件は続発する」と述べた。その通りだと思う。
 その意味で、安倍首相の事件発生直後のコメントには首をかしげざるを得ない。「真相が究明されることを望む」というひとごとのような言葉からは、怒りが感じられなかったからだ。
 政治家や経済人、言論人が先頭に立って、テロへの怒りを持ち、テロを追いつめる。それが今こそ求められている。

すごいなあ。よくこんなのを社説として堂々と掲げられるもんだと感心してしまう(笑)

 いまのところ、政治的、思想的な背景をうかがわせるものは出ていないようだ。
 しかし、容疑者の挙げる動機がなんであれ、この凶行が民主主義に対するテロであることに変わりはない。

前日の社説から続く論理なのだが、政治的、思想的な背景が無いのならこれはただの殺人事件なんでないの?「殺人を許さない」という意味合いならわかるのだが、「テロ」と決め付けておきながら、なんでここまで容疑者の動機を無視できるのかさっぱりわからない。この理屈なら、痴情のもつれから起きた殺人事件でも被害者が選挙期間中の被選挙人なら「テロ」ということになってしまう。それはどう考えてもおかしいだろ

 伊藤氏は1995年、右翼に銃撃された本島等市長の5選を阻んで、初当選した。この保守政治家を反核の「平和市長」に育てたのは、被爆者や市民、市幹部らだった。伊藤氏を狙った凶弾は、結果として、そうした人々にも向けられたものであることを忘れてはならない。

ここも意味不明。前段は右翼に銃撃された前市長を破って当選した市長なのだから、就任当初は保守(右翼)だったのだ、と言いたいらしいが、どうしてこう両極端というか単純なんじゃろ?伊藤市長は別に普段から反核と平和だけを主張していたわけではあるまい。犯人はすでに市長のまったく違う面を理由に犯行に及んだ旨を表明している。にもかかわらず無理矢理伊藤市長を「反核と平和のために殉じた闘士」に仕立て上げる作業はほとんど死者への冒涜と言って差し支えないのではないか?

さて、こういう主張をする朝日新聞李奉昌尹奉吉*1についてはどう言うんだろう?「動機はどうあれ、テロは許されない」んだよね?それとも「動機はどうあれ、日本帝国主義の指導者たちに対する義挙だから天晴れ」って言うのかねえ?

*1:知らない人はググッてみて