「ホリデイ」
以前公開時のCMを見て相方が観たがっていたことを思い出し、なんとなく借りてきた「ホリデイ」を観る
- 出版社/メーカー: ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
- 発売日: 2007/08/09
- メディア: DVD
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アメリカとイギリス、言語は同じでも文化の異なる2つの国の間で家を交換するという設定は面白いのだが、そこに必ずあるはずのとまどいや失敗、勘違いといった要素は描けばいくらでも面白く描けただろうに、車の運転の違いくらいしか描かれない。もともと描きたいものはそんなものではないのだろうが、せっかくの設定をここまで無視されてしまうと逆に気になってしまう
恋愛模様の描き方は一言で言うと「少女マンガ的ご都合主義」。「これはファンタジーなのだ」と割り切って観なければとても気恥ずかしい。とくにキャメロン・ディアスとジュード・ロウの側にそれが顕著。休暇でやってきた外国の田舎に突然現れたイケメンとのアバンチュール。割り切った関係とは承知しつつイケメンの背後に見え隠れする女の影にやきもき。と思ったら実は妻とは死別し二人のかわいい子持ちの良きパパだったことが判明、、、って、負け犬女の妄想かよっ!とツッコミたくなってしまった。これを真に受けて「やっぱり恋愛は勢いが大事よね」とか思ってしまうと絶対間違いを犯すと思うぞ(爆笑)
描きたかったことはこんな絵空事ではなかろう?それが垣間見えるのはケイト・ウィンスレットの方。流される自分とオサラバして自らの意思で一歩踏み出すこと。これこそが本来描きたかった部分だろうと思うのだが、そう考えるとあの大甘のラストがどうにも腑に落ちない。描くべきは4人の幸福な邂逅ではなく、各々が力強く歩みだす姿ではなかったか?そもそもキャメロンとジュードの方の恋愛は「終わり」の予感を払拭できたわけではないし、あのラストをもって「成就した」とするならあまりに非現実的過ぎるだろう
ここまでコキ下ろしたのでついでに言ってしまうと、登場人物が全員経済的にまったく不安が無いどころかかなり裕福な点も気に入らない。彼らが身の不幸を語れば語るほど、その気楽さ故に鼻白むものを感じてしまわずにはいられない。この辺最近の日本のテレビドラマでも同様のことを感じる機会が多いのだが、あんなヤングエグゼクティブ的な連中の不幸自慢に感情移入できる人の気持ちが理解できない
一本の映画として非常にバランスよくできているとは思うし、一定程度世の女性を元気付ける役割は果たせるかもしれない。しかしわしはそんなに美しくてスマートな人生を歩んだことはないので感情移入しろと言われても無理。それだけの話