カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の49歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

「世界最速のインディアン」

「ホリデイ」に引き続いてレンタルDVDでの鑑賞

1000cc以下の流線型車体クラスで世界最速記録を樹立したニュージーランドのバート・マンローという実在の人物を描いた作品。60を過ぎた男が古いバイクを独りでコツコツと改良し、遠いアメリカの地で世界記録を破ることを目指す。実話を下敷きにしているとは言え、この基本設定だけで十分すぎるほど面白い

ただひたすらにスピードを追い求める男バートの生き様が、阻む者の何も無いボンネヴィルの塩の平原とダブる。「夢をあきらめない」*1という言葉にするとあまりにも陳腐なメッセージが臆面も無く描かれるのだが、それがとてもさりげなく、淡々としているので少しも押し付けがましくない

映画の構成は3段構え。周囲の人々との日常の中でマシンの改良に勤しむニュージーランドでの生活、アメリカに渡りボンネヴィルを目指す道程での人々との出会い、ボンネヴィルで得た仲間たちと記録への挑戦、と若干趣を変えながら物語は進行する。ロサンゼルスからボンネヴィルまでの旅は完全なロードムービー。バートはモーテルのオカマ従業員、ヒスパニック系の中古車屋オーナー、一人暮らしの老女、インディアン*2の男らと出会い、助けられる。わしはバートの前に新しい人物が登場するたびにどうしても「こいつにきっとダマされる!」と疑いながら観てしまっていたのだが、バートが出会う人々は皆親切で、悪意がまったくない。人々との清々しい出会いがこの映画の肝であることは十分にわかるのだが、あまりにうまく行き過ぎるバートの旅に「んなわきゃない」とツッコミたくなるわしはやっぱりヒネクレ者だろうか?

一つどうしても物申したいのは、競技会に出場する際に危険性を指摘するスタッフに向かってバートが言った「(転倒しても)死ぬのは自分だけ。誰にも迷惑はかからない」というような意味の言葉。こうは言っていないかもしれないが、モータースポーツは死の危険性と隣り合わせでやるものではあっても、決死の覚悟で挑むものではないとわしは思う。支えてくれる周囲の人々の善意がとても純粋なものだけに、軽々しく「死」を口にして欲しくなかった。このあまりにもわがままな物言いを「心意気」と捉えるのが作品の立場なのだろうが、わしには自殺者の心理とそう変わらない気がしてしまった。あの場合、示すべきは自らの死ではなく自分のマシンへの絶対の自信だろう。競技者としても製造者としてもそうでなければならない、とわしは思うがどうか

たぶん泣いた人も大勢いるのだろうが、わしはそこまで行けず。これは上に書いたような理由もあるが、ほかにも要因はありそう。例えば音楽。単純な曲が並び、もともと音楽で盛り上げようという気がほとんど無いように感じられる。クライマックスくらいもう少しインパクトのある楽曲で盛り上げてもよかったのではなかろうか?また、意図的に余韻を残さないようにした演出も作品全体の印象を淡白なものにしている。ただ、これは逆に言えばそれだけテンポが良いということでもあるのでマイナス要素にはなっていない

最後にもう一つだけツッコミ。モリワキエンジニアリング監修のおかげかメカ関連の日本語字幕にあまりおかしなところはなかったのだが、時速を逐一マイルからキロメートルに書き直しているのはちょっと興ざめ。英語に不自由なわしでもさすがに読み上げてる数字と字幕の表記が違うことくらいわかるので非常にややこしい。それに映画でバートが目指す速度そのものが200マイルなのに320.ンキロとか書かれてしまうと数字自体の重みが全然伝わらなくなってしまう。ほかにもバートがアメリカの旅先で出会う人にいつも「グッダイ」とあいさつしては変な目で見られてしまうのだが、その辺の面白さもまったく無視してそのまま「こんにちは」とか書いてしまう。やっぱりあんたの字幕変だよ、戸田ナッチ

いろいろ書いたが間違いなく今年のオススメ作品のひとつ。ただし心が邪な人には向きませんので悪しからずw

*1:というよりは「可能性の追求」というもっと根源的な欲求なのかもしれないが

*2:ネイティブアメリカンと言うべきですか?