カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の49歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

硫黄島からの手紙

避けては通れぬ映画と思いつつ、なぜか観ることをためらっていた「硫黄島からの手紙」がWOWOWで放送されたのでようやく観た

硫黄島からの手紙 [Blu-ray]

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日本を描いたハリウッド映画というと、日本人の目から見るとどうにも我慢ならないわけのわからない描写や相も変わらぬ「スシ、ゲイシャ、ハラキリ、フジヤマ」的イメージを思い浮かべてしまうのだが、この「硫黄島からの手紙」の日本人の描き方が敵国側の製作であるにも関わらず思いのほかフラットで無理の少ないものであったことにまず驚いた

劇中には最初から最後まで日本人の俳優ばかりが登場し、セリフもほとんどが日本語。何も知らずに観れば、これがハリウッド映画であることが俄かには信じられないほど。とかく不勉強で自国の過去すら顧みることのない昨今の日本人にとって、ほんの60年ほど前にかくも壮絶な戦いが日本とアメリカの間で繰り広げられたという事実を、余計な雑念を差し挟むことなく教えてくれるこの作品に素直に敬意を表したい。また、それとともにこの作品が日本人によって、ではなくアメリカ人の手によって作られたことに軽い嫉妬を覚えた

細かいことを言えば史実と違う箇所、時代考証の不備はあるだろう。例えば、当時の日本人が「ジープ」などという呼称を用いるはずはないし、軍人が小銃を「ライフル」とも言うまい。同僚とは言え上等兵と一等兵がタメ口というのも違和感がある。だが、そのくらいの間違いは日本人監督でも犯しそうな程度のもの。映画全体から観れば小さいことだ

人間ドラマとして見ると、人物像がはっきり描かれているのは栗林中将(渡辺謙)と西郷(二宮和也)くらいで後の人物はまるでその背景が見えてこず極めて表面的。映画のタイトルに冠した「手紙」は劇中の人物が本土に残した家族へ宛てたものであるのと同時に、彼らと現代の観客とを繋ぐ要素となるべきだったはず。手紙を媒介として物語を膨らませ、現代へのメッセージを盛り込もうとする意図だけは見えるのだが、その組み立てが拙くてせっかくのアイデアがちっとも生かされていない

戦記物としても中途半端。5日で終わると言われたほどの圧倒的兵力差を栗林中将はじめとする日本軍が知略をもって如何にして覆し、一ヶ月以上もの長きにわたって抗戦を続けることができたのか?この映画はそうした知的好奇心を満たそうともしない。あまりディテールにこだわりすぎると映画の方向性そのものが変わってしまう可能性があるため自重した部分もあるかもしれないが、前述のプロットの弱点といい、このあたりは脚本の責任が大きいものと思われる

しかし、わしとしてはそれすらどうでも良かった。現代のわれわれ日本人は硫黄島で雄々しく戦い、儚くも散っていった数多の将兵の屍の上に立っている、そのことに思い至らせてくれただけで十分。最後の総攻撃前に栗林中将はこう訓辞する

予が諸君よりも先に、敵陣に散る事があっても、諸君の今日まで捧げた偉功は決して消えるものではない。いま日本は戦いに敗れたりと言えども、日本国民が諸君の忠君愛国の精神に燃え、諸君の勲功を讃え、諸君の霊に対し、涙して黙祷を捧げる日が、いつか来るであろう。安んじて諸君は国に殉ずべし

この言葉を現代のわれわれはどう受け取ればよいのか。旧日本軍を盲目的に敵視し、ヒステリックに反靖国を叫ぶ勢力が、あろうことか日本人自身の手で拡大再生産され、本来あるべき先人への敬意が忘れ去られていく。この現実をどう詫びればよいのか。そんなことを思わずにはいられなかった

受け止め方はさまざまだろう。そういう余地を残した描き方になっていることも高く評価したい