カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の49歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

アンチエコ宣言

突然だがわしは「エコ」という言葉がキライだ。ついでに言うと「地球にやさしい」はもっとキライだ

個人が節約や環境美化に努めることは良いと思う。無駄遣いや環境汚染を戒めることも一定の社会的コンセンサスの下で為されるなら当然と思う

気持ち悪いのは、何でも「エコ」に結び付けてその絶対善のイメージを利用する輩とそれに踊らされる人々。そういう連中がエコバッグの大量生産、購入だとか「エコ替え」等の愚挙におよぶ姿を見ているとウスラ寒いものを覚えずにはいられない。なんで商売の道具に「エコ」を利用しているに過ぎないってことに気づかないのか?まったく不思議だ

「エコ」を絶対正義だと信じて、ことあるごとに「二酸化炭素排出量がうんぬん」などと言うヤツを見ると「なら息止めろよ」と言いたくなってしまう。人為的二酸化炭素排出量を減らすことが「エコ」で「地球にやさしい」と言うのなら、人類の死滅こそが究極のエコだろう。そのくらいのことを言ってやりたい

某うちの新聞社wでは近年、クリスマスシーズンのイルミネーションを紙面に掲載することが編集の方針で不可になった。理由は「エコじゃないから」。わしはこれを聞いて開口一番「バッカじゃねえの」と言ってしまった。電力は一度作ったら消費するしかないのに。それをどんな方法で使おうが「エコ」なんざとは一切関係ないのに

電力節約の理由が「家電製品や情報機器のライフサイクルコスト節減のために電力料金を抑える」とかなら理解できる。こうしたムチャクチャな理屈を振りかざす連中が増えたことは、「エコ」という単語を「錦の御旗」とする風潮の蔓延と無縁ではないとわしは思う

理念として必要なことは節度を持つことであって「エコ」を頭上高く押し戴くことではあるまい?

わしは断固として「アンチエコ」派であることをここに宣言する。そして"すべての「エコ」を「節約」に!言いかえ運動"を提唱するものであります