この道はいつか来た道
1993年夏、細川首相による非自民連立政権誕生当時の某地方紙新聞紙面コレクション
1993年7月30日付
年初から上昇していた株価は新政権誕生から約2ヶ月で停滞、下落をはじめる
同8月7日付
「生活重視や予算配分の見直し」「予算の中に非自民色」これ16年前のお話
同8月10日付
繰り返しになるが16年前のお話だ
同8月11日付
場当たり的な発言は16年前も同じ
同8月12日付
同8月13日付
円高でいたずらに危機を煽る報道のやり口は今も変わっていない
同8月24日付
首相の所信表明演説を勝手に撤回しちゃった「社会党の赤松書記長」とは現農水相の赤松広隆
同8月25日付
「二番底を懸念」「回復の足取りは予断を許さない」しつこいようだが16年前のお話
そしてその8か月後、1994年4月9日付
まもなくそのまま使えてしまいそうな見出しw
このほかにも細川政権末期には、アメリカからの要請による内需拡大を目的とした消費税減税(廃止)分に代わる財源確保のために、細川首相が突然深夜に会見を開いて「国民福祉税」構想をブチ上げた挙句、野党はおろか連立与党内からも猛反発を受けてわずか34時間で撤回するという醜態を演じた*1。その結果1994年度予算案には公約で「発行しない」と明言していた3兆円分の赤字国債発行が盛り込まれることになった。この一連のドタバタ劇を陰で指揮したのは誰あろう当時の新生党代表幹事小沢一郎であった
毎日のように新政権擁護のために「新鮮だ」を繰り返す小倉智昭や古館伊知郎は、どうやら記憶力ってもんが無い模様ポチッとな