カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の49歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

男系継承絶対論者ではありません

驚かれるかもしれないが、わしは女系天皇容認というか、女系継承を視野に入れた皇室典範改正を支持している

こんなことをいきなり書くと男系絶対論者に噛み付かれてしまいそうだが、別に伝統への敬意を忘れたわけでも皇室に対する尊崇の念が薄れたわけではないし、「進歩的」な男女平等論に目覚めたわけでもない。むしろそんなものはくそ食らえと思っている

言うまでも無い話だが、わしは男系の皇統が永く続くことを祈っている。だがそれには「可能な限り」という但し書きがつく。そこが出発点だ

皇統が(歴史的事実として疑われる部分があったとしても)絶えることなく男系で受け継がれ、その二千年にも及ばんとする歴史と伝統が皇室の権威(の一部)を形づくっているという論は理解できる。しかし、現在皇室に男系の血筋を受け継ぐ親王もしくは内親王はたったの4人。しかも男子は悠仁親王ただ一人という差し迫った事実が厳然として存在している

現在の皇室典範では皇位に就けるのは男子のみなので、このままであれば悠仁親王皇位継承者ということになり、かろうじて男系の伝統は受け継がれることになる。そこまではいい。問題はその後である

悠仁親王とその伴侶との間に将来男児が授かればよいが、その保証はどこにもない。可能性の問題に過ぎないが、皇室の存続という観点から見ればなんとも心もとない。このとき「断絶」という選択肢が有り得ないとするならば、皇室典範の改正が必須ということになろう

男系維持絶対論者の人々は旧宮家皇籍復帰を言う。わしも以前はその案に同調していたのだが、改めて調べてみるといわゆる旧宮家が現在の天皇家と枝分かれしたのは、最近でもなんと室町時代にまで遡ってしまう。もちろんそうした旧宮家も昭和20年までは「皇族」として扱われ、皇室の近くに置かれてきた。しかしその後は一般の国民として生きたわけで、「皇族」時代を知る人はもうほとんどいない。そういうところから適当な男性を連れてきて、「はい、この人が次の天皇陛下です」と言われて果たして国民が尊敬できるだろうか?いや、納得できるだろうか?

仮に旧宮家皇籍復帰が成ったとしても、それが国民のコンセンサスを得られたとしても、断絶の懸念が消えるわけではないことも考慮に入れなければならないだろう。まあ、それは女系も同じとも言えようが

これまでの皇室が男系を維持できていた背景に側室をもうける一夫多妻制を挙げ、側室を容認する発言をする人もいると聞くが、そんなものは論外だろう。一夫一婦制の原則が深く浸透した現在、この高度に情報化された社会で天皇だけが側室を何人も抱えるなど、国民が許容できるはずがない。そもそも側室になる女性の人権や尊厳をまったく無視している点でも、どうにも受け容れがたいものに思える

価値観の変容に左右されない固有の価値としての「万世一系」の素晴らしさはわかる。しかし皇統の体現するものが「権威」という概念であるのならば、国民感情として得心できる新しい「継承のかたち」を作り上げることも重要ではないだろうか?そしてそのためにいわば「保険」としての法を整備しておくことは決して無駄なことだとは思わない

天皇の直系として皇室の伝統を学び、それを自らのものとして体現する内親王あるいは女性天皇のもとに産まれた皇子であるならば、国民は新たな天皇として尊敬し、押し戴くこともできるとわしは思う。それは大陸文化のいうところの「易姓革命」などでは決してないと考える。「Y染色体うんぬん」などの話はそれこそ形骸的でナンセンスな感がする

だいたい国民は「万世一系」だから皇室を尊敬し、その権威を認めているのだろうか?皇室と国民との絆はそんな脆弱なものではないはずだ