カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の49歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

その日

以下、自分用備忘録です。面白くありませんので悪しからず。って面白くないのは普段どおりか(-。-;
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5月31日の夜10時、前日退院する母を実家まで送り届けた帰りに撮ってきた、いわて銀河100kmチャレンジマラソンのコース写真をまとめ、そろそろ寝ようと思っていたところで電話が鳴った

こんな時間に仕事の電話を受けるのはごめんなので無視しようかと思ったが、発信の主は実家で両親と同居する姉。イヤな予感がしたがひとまず電話に出る

「お父さんが倒れた。今、お母さんと病院に行ったけど心肺停止」

親父が倒れたのはこれが初めてではない。2、3年前にも一度犬の散歩中に倒れて病院に担ぎ込まれたし、それ以前には飲めないビールを飲んで卒倒したこともある。そんな記憶が一瞬で駆け巡る

「今度もそうかも」
「しかし心臓が停まったんならただ事じゃないな」

姉からの電話を切った後もぐるぐると考えが駆け巡る。すでに寝床に入っていたカミさんを起こして倒れたことだけを伝える。カミさんはまだ半分寝た状態

トイレに座って用をたしていたら、再度姉から着信。最初の電話からわずか10数分後のことだった

「今、死亡確認がとれたって」

声は多少沈んでいたが、どこか素っ気ない姉の声

「そうか。今からそっち行くわ」

こちらも素っ気なく答えてすぐに電話を切った

こういうときよく「信じられない」なんて言うのを聞くが、姉がそんな冗談を言うはずはないし、言う意味もないのでそのとおりなんだろうと、「なぜ?」ともなんとも思わず、このときはすんなり受け入れてしまった

カミさんを再度起こして
すとん「今(死亡)確認がとれたってさ。これから行ってくるから」
カミさん「え?いくの?」
す「うん。これ(喪服)持って行った方がいいよな」
カ「そんなのまだいいでしょ!(-"-)」
す「(なんで怒ってんの?)そ、そうか?」
カ「お義父さん入院するの?」
す「え?何言ってんの?死んだんだよ」
カ「え、、、、(しばし絶句)そうなの?」

噛み合ってなかった。何か口にするのが憚られてハッキリ言わないオレが悪かっただけだが

急いで礼服と革靴を持って車に乗り込み、走り出す。ガソリンは半分以上入っていたが、もしかすると盛岡と実家の往復になるかもと思い、すぐにスタンドに寄って満タンにした

高速に乗り、ひたすら車を南に走らせる。前日の母の話がよみがえる

「最近本当にお父さんおかしいの」
「車の運転が危なくて仕方ないから、免許を取り上げて欲しい」
「今月で仕事を辞めるって」
「あなた(すとん)の名前すら出てこないのよ」

母の言葉は親父の認知症が急速に進んでいることを伝えるものばかりだった。その言葉に「親父もそう長くないかもしれない」そう考え始めていた。それがまさか今日とはもちろん思わなかったが

車に乗ってひとりになったら泣けるかと思った。が、泣けない。まだ実感が無いからなのか。そんなものなのか。わからない

家に着くと現場検証の真っ最中。3人の警官を相手に語る母親の話で、その夜の顛末を知った

親父は普段通り夕食を食べ、母に「先に入る」と告げて、入浴した。後にして思えば、これが最期の言葉となった。入浴後30分、少し遅いと感じた母が呼びかけるが応答が無い。異常を察した母が浴室に入ると、親父は仰向けに倒れていた。既に親父の意識はなかったが、まだ息はしていた。母は二階の姉を呼び119番通報。実家は消防署の至近なのでものの3、4分で救急車が到着したが、その直前に親父の息が止まる。母の叫び声に救急隊が心臓マッサージと人工呼吸、AEDによる電気ショックなどを施したが拍動は戻らない。心肺停止状態のまま救急車で近くの県立病院に搬送されたが、そこで医師により死亡が確認されたという。直接の死因は心臓に繋がる大動脈が裂けた(解離性大動脈瘤、大動脈解離)ことによるショック死ということになるらしい

現場検証が続く実家の居間のテーブルの上には主のいなくなったメガネと時計が置きっぱなしになっていた

現場検証を終え、母親と共に病院へ行くと、姉と姉からの連絡で駆けつけた叔父夫婦が椅子に座っていた。少し心配したが極めて冷静。驚きはしたのだろうが、取り乱すようなことはまったくなく、全員淡々としていることに安堵。安堵するようなことでは無いかもしれないが、このときは本当にホッとした

現場検証のために一度家に戻った時点で母親が既に葬儀社に連絡していて、ひとまずその葬儀社の会館に遺体を運ぶことになった

頭まで毛布に包まれた遺体が救急車にもう一度運び込まれ、葬儀社まで運ばれていく。オレも車に乗り込み、追いかけた

葬儀社の会館に着くと、そこには既に仮の祭壇が用意されていて、その前に遺体が横たえられた。顔には布。駆けつけてからまだ一度も親父の顔を見ていなかったオレは、傍に膝をつき、顔の上の布をめくった。とくに手が震えるようなこともなく、ごく普通に、ペロッと

穏やかだった。多少口が緩んでいるせいか柔和な表情。ヒゲが少し伸びている以外は普通の寝顔。ひっぱたけば、今にも起きてきそう。思わず頬に触れると確かに冷たい

「もう起きないんだな」

それだけ思った。何か言葉をかけようかとも思ったがやめた。気恥ずかしいし、礼を言うのはまだ早い気がした。いや、もう遅いのか

叔父夫婦が家へ帰り、会館には母と自分だけが残って線香の番をすることになった。一旦家に戻って風呂に入った後、親父の車に乗り換えて再度会館へ向かった

親父のプレミオはシートがえらく前に動かしてあった。身長差が15cm以上あるので当たり前だが、親父、こんなに小さかったっけ。車内には酸っぱいような妙な臭気が鼻をつく

会館にたどり着き、母に車内の臭気について訊ねると「たぶんタケノコ」と。衣川にある生家の敷地に生えたタケノコをとってきて「息子(すとん)にも分けてやる」と言っていたのだとか。オレ別にタケノコ好物でもないのに

タケノコを外に出すために後部座席とトランクを開ける。トランクには親父の唯一の趣味と言えるゴルフのバッグが入ったまま。後部座席にはタケノコのほかに小さなバッグが2つ。開けると30年前のフィルムカメラと交換レンズ、釣りの仕掛けとリールが出てきた

近く仕事から退くつもりだった親父。酒もバクチもタバコもやらない親父。引退後に何をしようか親父なりに考えていたんだろう。こんな古いカメラも釣り道具も、もう使えないのに

「オレ、親父がこの先何考えてんのか。全然知らないままだったな」
「あら、あなたとお父さんは男同士の割にはよく話す親子だったわよ」

母の言葉に少し救われた気がした。そうか。なら良かったのかな。何が良かったのかわからんけど

のんびりした隠居生活。少しでいいから、させてやりたかったな、、、
いや、でもそんな生活になったら、ますます認知が進行しただけかもな

そんなことを考えながら寝た