カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の49歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

「過去のない男」

フィンランドアキ・カウリスマキ監督の映画「過去のない男」を観る

暴漢に襲われ記憶をなくした男が、新たな生活を始めた見知らぬ土地で一人の女性と出会う。彼女との出会いに希望を見出し、徐々に仕事と暮らしが軌道に乗りはじめた男の前に、妻を名乗る女性からの連絡が届く。突然過去を取り戻した男の運命やいかに、、、あらすじはこんなところ

男の身に降りかかる事件とその顛末だけをなぞれば、この物語はファンタジーなのだとわかる。人生がいきなりリセットされてしまう、というファンタジー。しかし出来事の一つ一つは大仰な表現や劇的な展開もなく、ただただ淡々と起こり、過ぎ去っていく。そこでは「記憶をなくした」という物語最大の事件さえも悲劇とはならない

男は激情に駆られることもなく、自らの記憶を取り戻すために奔走することもなく、ただその事実を受け入れ、生きるために住居を構え、仕事をはじめる。周囲もそんな彼に格別の同情を寄せることなくただ受け入れる。「なんで皆そんなに冷静なんだ!」と突っ込みたくもなるが、男の状況を考えれば「とにかく生活するしかない」という彼の決断もまた現実か、という気がする

男との対比として、過去の清算のために残りの人生をかける老人が登場する。淡々とした語り口で老人と男の現在と過去、その過程と帰結が描かれ、観客に自然とそれらを引き比べることを促す。それにより物語のラストに描かれる幸福な結末が一層印象深いものとなってくる。と言って押し付けがましい「泣き」の演出などは一切ない。むしろ一番絵になるところを覆い隠してしまう、作者の照れ隠しのような「演出」すらあって、それがまたなんとも言えぬムズがゆさを残す。しかしこれを快感と感ずるわしは変態だろうか?^^;

物語はさておき、映画としての雰囲気も実によい。音楽が非常に重要な位置を占めながら、映像から突出することもなく抑制が効いている。登場人物たちに美男美女はいないし、過剰なキャラクター性もない。それでいながら一人一人に強烈なまでの存在感があるのがスゴイ。この媚びの無さはカウリスマキ映画の特徴でもあるが、これって「美人やハンサムなんか絶対に出すか!劇的な演出なんてするもんか!」という意地としてやっているのか、それとも「現実とはこんなもの」という確信からやっているのか、判断がつかない。もしかして両方?

ほとんど人の目の高さから外れることのないカメラワークも彼の作品の特徴。これがまた映画の語り口をより淡白なものにしている。このあたりは小津の影響、という人も多いようだが、わしは単なる映像的な好みの問題な気がする。小津といえば、この映画には日本へのオマージュが感じられる場面があるのだが、これって欧米人にはわからないんじゃないだろうか?日本人に生まれた喜びを享受しつつニヤついて観るべし(笑)

誰が何と言おうと大傑作。普段甘辛のカウリスマキにしては、少々甘めという気もするが、個人的には「コントラクトキラー」あたりと並んで好み。「レニングラード〜」しか知らない人にこそぜひ観て欲しい。オススメ