春の日は過ぎゆく
というわけで観た。一言で結論を言うなら「痛い」。わしにとっては非常に身につまされる「痛い」映画だった
- 出版社/メーカー: 松竹ホームビデオ
- 発売日: 2006/12/22
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痴呆症の祖母を抱える家庭で暮らす若く純情なサンウが、年上で離婚経験もあるウンスと出会い、付き合うようになるのだが、二人の間がうまくいきだし、サンウがウンスに自分の家族と会うよう話し出す辺りから、関係が怪しくなりだす
より濃密な関係を求めるサンウと距離を置くウンスとのすれ違いは、一見ウンスの一方的な変心が招いた結果と見えるため、男性側から観ればかなり不快なものがあるだろう。逆に相手に自分の恋情が受け入れてもらえないことが理解できないサンウを未熟とみることもできるだろう。だがそのどちらも当事者の側から一人称的に見てみれば理解できる。とくに恋愛感情をコントロールできずに苦しむサンウの姿は男から見れば本当に痛いほどよくわかる
恋愛関係の先に「良い未来」しか見なかったサンウだが、結局別れという選択を受け入れる。ウンスから別れを告げられた後、サンウが録音したテープの中から自然の音に紛れて静かに聞こえるウンスのハミングを聞くシーンがあるのだが、思うにサンウはウンスの心の声を聞き取ることができなかった、ということを象徴しているのだろうという気がする
悲しむサンウを祖母が「女とバスは去ったら追うもんじゃない」と諭す場面も良い。うまいことを言うもんだと妙に感心してしまった。サンウの成長を見届けたかのように祖母がスクリーンから去る演出も憎い
幾度となくウンスに翻弄(?)されながら、別れを受け入れるサンウを見ていると、そこまで大人になれない自分を感じてしまう。受け入れなければならない別れがあるとわかってはいても「これが運命の人」と見定めた女性との別れを前にしたら、そう簡単に感情を抑えることはできないだろう。(それはもちろん映画の中のサンウにとっても同様で、ストーカー一歩手前の行動までとってしまうのだが)
そう考えるとこの映画はサンウの成長物語であると共に、「キレイな別れ」を描いたファンタジーと見ることもできるかもしれない。とはいえ描写はあくまでソフトで客観的なので恋愛ドキュメンタリー的に全体を俯瞰して眺めるのが正しい鑑賞法なのだろうが、、、まだまだ未熟なわしにはそこまで突き放すことができないなあ(嘆息)