カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の49歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

A級戦犯

池袋の漫画喫茶からこれを書いている。引き続きで申し訳ないが、A級戦犯について言及した「Dr.マッコイの非論理的な世界」の下のエントリーにちょっと感動したので引用
A級戦犯 - Dr.マッコイの非論理的な世界

どうして日本人は中国に言いように言われてこういうふうに怒らないのか?冷静でいられるのだろうか。私はよっぽど三宅さんの怒りのほうに共感できる。

まったくです。三宅氏はBC級も含め、戦犯として処刑された同胞に対して発言しているのだと思うが、戦後、旧時代の悪の象徴のように語られるA級戦犯に関しても同じことが言える思う

東京裁判で「A級戦犯」とされたのは二十八名。そのうち東条英機ら七名が絞首刑とされた。戦後靖国神社に合祀されたのはこの七名と獄中で死亡した五名、判決前に病死した二名の合計十四名だ。では残りの「A級戦犯」たちはどうなったのか?

外務大臣で降伏文書に調印した重光葵氏は禁固七年の刑に服した後、鳩山内閣の副総理兼外相を務めた。また賀屋興宣氏も終身禁固の判決を受けたが昭和30年に釈放され後赦免、池田内閣で法相を務めた。彼ら生き残ったものたちは赦免され、戦後の日本の復興に貢献したが、米国の(不当な)裁判によって有罪判決を受け、名誉回復することなく亡くなった人々のみが悪の権化のように語られる現状が正しいはずがない。彼らは単にナチスドイツに比肩しうる「悪」を創り出したかった米国の都合によってスケープゴートにされたに過ぎないのではないのか?

かつてない国難に直面し、為政者としてギリギリの選択を迫られ、敗戦してしまったことにより殺された先人をどうして口汚く罵ることができようか?彼らに失策があったとすればそれは戦争に負けてしまったこと、この一事のみであるとわしは考える

わしが四の五の言わなくても、「A級戦犯」とされた人々も日本国内ではとっくの昔に赦免された、というのが事実。そうであれば彼らを殉難者として扱い、首相が慰霊の祭事に赴くことにもなんら問題はないし、圧力をもってこれを阻止しようとする中韓の行為が不当な内政干渉であることは明白なのだ

日本人としてこのことをしっかりと認識し、何を言われようとも慰霊の心を忘れず、中韓に対してはっきり物を言うべきだと思う