カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の49歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

ミッドナイト・イーグル

映画ファン感謝デーと土曜日が久しぶりに重なったので「ミッドナイト・イーグル」を観てきた

以下公開中なのでネタばれ注意

北アルプスで撮影をしていた元戦場カメラマンの西崎(大沢たかお)は夜、山中に墜落する赤い光を撮影する。西崎と後輩の新聞記者・落合(玉木宏)は光の正体を追って北アルプスへと向かうが、途中武装した某国工作員に銃撃される。その最中、二人は同じく某国工作員の襲撃によって壊滅した自衛隊唯一の生き残り佐伯(吉田栄作)と出会う。一方、西崎の義妹で息子を引き取って育てている写真週刊誌記者の慶子(竹内結子)は、米軍基地に侵入した某国工作員の男と接触する。男が仕掛けた爆弾により北アルプスに墜落した米軍のステルス戦闘機、通称「ミッドナイトイーグル」こそが西崎たちの追う赤い光の正体だった、、、といったストーリー

ストーリーだけを読めば「ダイ・ハード」ばりのアクション娯楽大作に期待してしまうが、展開が冗長すぎてどうにも緊張感に乏しい。北アルプスと東京の場面がそれぞれ同時進行で描かれるのだが、あまりにも几帳面に時系列を追ってしまっているためか、場面が切り替わるたびにストーリー展開がストップしてしまい興が削がれる。結果、非常にテンポの悪い作品になってしまっていた

こういうサスペンスドラマは、基本的に主人公たちの頭が悪くてはどうにもならない。視聴者より先に考え、推理し、核心に近づいてくれないと説得力がない。落ちた航空機が軍用、かつ秘匿する必要のあるものであろうことは、自衛隊の行動を見ればだいたい想像がつく。にもかかわらず西崎たちがそこに行きつき、正体が明かされるまでの時間があまりにも長すぎる。その航空機に搭載された核の存在を知らされると「やっぱり!」って、んなもん誰でもわかるわ!普通は次々と目の前で起こる状況から的確な分析を行い、それによってその後の行動の理由付けを行うものだと思うのだが彼らの行動には明確な目的がなく、ただなんとなく漠然と行動しているようにしか見えない

ほかにも、雪山で白い防寒服に身を包んだ工作員に襲われながら、格好の標的になるであろう紺や赤のアノラックを脱ごうとしなかったり、銃撃されてるのに伏せもせず雪の上をジタバタと逃げ回ったり、、、いくらなんでもこいつら頭悪すぎ。主人公たる資格が無い

冬山の寒さがまったく感じられないのは完全にペケ。あれだけ雪の中で転げまわりながら、寒さに震えたり体力の消耗に苦しんだり食糧の残りを気にかけたりする場面がまったくない。あげくやたらと広く暖かそうなステルス機内で「魚と肉、どっちがいい?」ってお前はキャビンアテンダントか!w

さらに細かいことをツッコミだすとそれこそキリがない。某国工作員自衛隊のレンジャー部隊2個小隊をほぼ全滅させておきながら、非武装の素人2人には弾すら当たらない。おまけにその素人は特殊訓練を積んだ自衛隊員に向かってタメ口で「山の怖さ」について説教垂れる。そもそもなぜ某国はミッドナイトイーグルに搭載された核を起爆しようとするのか?自衛隊は二個小隊を全滅させられたら以後増援無しなのに、某国工作員はなぜ次から次へとウンカのごとく現場に駆けつけるのか?万全の雪山装備を持ち、かつ完全武装の工作員を某国は一体何人、どうやって送り込んだというのか?だいたい某国工作員はどうやって正確な墜落位置を掴んだのか?首相命令で送り込まれた増援部隊は、数百万人規模の国民の命がかかった作戦だというのになぜあっさりあきらめ撤退してしまうのか?etc.etc.、、、あ〜!まだまだツッコミ足りない!

時折垣間見える安い思想的メッセージも気に入らない。一国の首相が「政治家の唯一最大の責務は戦争を絶対に避けること」ってなんじゃそら!だいたいこの事態に至るまでに自国はまったく関わってないやんけ。某国が在日米軍に対して行った工作が原因だろ?この事件から得られる教訓はむしろ「自国が望むと望まざるとに関わらず、他者の手によって戦争の危機に陥ることがある」ということであって、それは首相が左右できることではなかろうが?西崎が戦場カメラマンをやめた理由にしても「1枚の写真で戦争を止めることはできない」って、んなことさっさと気づけ!その程度でやめるってどんな甘っちょろい覚悟なんだか

ヒューマンドラマの持ち込み方にも問題あり。慶子が西崎の子を預かる理由がそもそも不明。西崎の逃避行動の間に姉が死んだことでなぜ慶子は「人殺し」とまで言うのか。その子どもも(大人から見た)理想的すぎてちっとも子どもらしくない。人間関係の背景がまったく見えてこず、内面の描写も薄っぺら。すべての設定が泣きの展開を作り出すためのあざとい仕掛けとしか受け取れない。ラストは「平和な日常の情景のバックに桜井和寿の歌流しときゃオッケー」という観客をナメきった演出意図が透けて見えるようだった

ダメだ。もう考えれば考えるほどダメ。強引にでも良いところを探そうとしたのだが、まったく誉められるところが思いつかない。好きな人ごめん。今のところ今年一番の「ダメだこりゃ〜映画」認定