カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の49歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

いわきサンシャインマラソンふりかえり【最終回】

日曜のフルマラソン以降ランはお休み続き。今日で5日連続となり、昨年3月以来最長となった。筋肉痛は完全になくなったものの坐骨神経痛は治らず、少し走るとあっという間に左脚が石のように重くなり、しびれと痛みが出るという有様。いつになったらランニングが再開できるのか。あまり走らないでいると走力の低下もさることながら、アタクシの場合食べたら食べるだけ吸収してしまうスポンジ体質なものでデブってしまうのが、、、ね(;´Д`)


さて、いわきサンシャインマラソンふりかえりの(一応)最終回です

30kmまでは設定タイムどおりに来たものの、目標のサブ3.5達成のためにはここからのペースアップが必須。しかしレース前に発症した坐骨神経痛がヒドくなり、左脚が思うように上がらず、ほとんど引きずりながら走るような状態になってきた

自分でもみるみるペースが落ちていくのが感じ取れ、時計を見ずともサブ3.5がほとんど不可能になっていくのがわかった

ここで勝負をあきらめてペースを落としソフトランディングを図ることもチラリと頭をよぎったが、なまじ30kmまで設定タイムどおりに走れてしまっていたので、どうにも踏ん切りがつかない。なんとか打開できないものかと補給食の切り札メイタンゴールドを開けてみたが、もとからペースダウンの要因はエネルギー不足などではなかったので残念ながらあまり効果はなかった

中途半端な気持ちのままズルズルと距離を伸ばすもペースは落ちる一方、そしてついに33kmを目の前にしたところで左の腿裏から膝裏にかけてに鋭い痛みが走り、走るのをやめてしまった。「やめてしまった」と書いたが、そのときは「足が動かなくなった」と感じていた。しかしその後も歩くのは問題なかったし、終盤走ることができたのだから、これはやはり「やめてしまった」のだろう

痛みに顔をしかめて歩いていると救護のスタッフの方が声をかけてくれた。「大丈夫ですか?」と言って手に持ったエアサロンパスを吹きかけてくれる。左の腿裏にタイツの上からかけてみたが、まったく症状は好転せず

少しでも速く移動できるようスロージョグを試みるが、それすら10秒も続かない。すぐに痛みが激しくなり、歩きに切り替えざるをえなくなる

ふとラップペースに目をやると10分を軽く超えている。早足で歩くとだいたい1km10分そこそこ。このままゴールまで歩き通せば4時間半くらいかかっちまうな、やっちまったな((c)クールポコ)などと思考がネガティヴ方向に傾いていく

痛みと情けなさでうつむきながら歩いていると、次々と救護の人が声をかけてくれる。エアーサロンパスを片手に「かけましょうか?」と言ってくれる方もいたが、坐骨神経痛にはエアーサロンパスは無意味とわかったので丁重にお断りしてゆっくりと前へ進んだ

↑写真がメンタル的に死んでる
なぜこんなときに?とレース直前の故障発生を恨みたくなったが、誰にもどこにもこのやり切れなさをぶつけることができない。オーバーペースで潰れてしまったというのであれば例え結果的に歩くことになったとしても、ここまで悔しく情けない気分にはならなかったかもしれない

しかし実際のところ心肺は全くの余裕。左足以外は痛みも疲労もない。それなのに沿道の声援も耳に入らず、ただトボトボとコースの脇を歩きつづけている。いや、疲労はあったかw

なんなんだオレ!?こんなとこまで来て何やってんだ!?

そう叫びだしたくなったそのとき、ハタと思い出した

あ、オレ、ロキソニン持ってきてたやん!

すぐにリストバンドに手を伸ばし、ロキソニンを取り出したが、これを飲むには水がいる。しかし肝心のボトルは途中で落としてしまったので最低限なんとか一番近い給水所までは辿り着かなければならない。やっとのことで着いた給水所は34kmあたりの第二折り返しを過ぎたところ。ここで立ち止まって水をガブ飲み。ロキソニンを飲んで、さらにアミノバリューもコップまるまる一杯一気飲みして再び歩き出した

31km 5:14
32km 5:40
33km 6:24
34km 10:06
35km 11:25(30-35km計38分49秒 0-35km累計3時間08分37秒)

給水所を後にしてからもしばらくは歩いたまま35km地点に到着。もう一度走ってみようと試みるとゆっくりながら走れる。これがロキソニンの脅威の即効性か、と妙に感心。痛みは多少引いたが臀部と腿裏がつっぱる感覚は依然としてあり、どこまで保つかは見当もつかない

スピードは上げられないが、思うように動かない左脚をなんとか運んで必死に走っていると沿道のオッチャンが自分の手を指し示しながらアタクシの方へ近づき、何かを渡してくれた。何事かと戸惑いつつふと見ると手には金色の包み紙に包まれたチョコレートが2個

いや、別にアタクシはガス欠でこんな苦しい走りになっちゃってるわけじゃないんだけど、、、(-。-;と思いつつもありがたく一個いただく。口の中に甘さが広がる、、、美味い。美味いんだけど濃厚なチョコの甘さに猛烈に喉が渇きはじめる(ノ∀`)アチャー

オッチャンありがとう。でも喉が渇いたよ

ともかく少し走れるようになったので必死に前へ前へと進んでいく。ペースは自分としてはまったく物足りないものだが、タイムを逆算してみると、このまま行けばなんとか4時間は切れそうなことに気づいた

今日の勝負には負けたが、サブ4死守という新しい目標ができた。そのせいか、少し元気が出てきた

ゴールまでの残り距離が少なくなっていく中、タイムとにらめっこしながら頻繁にゴールタイムを計算して予測する。前を見るとかなり前に追い抜いたはずの人たちがチラホラ。当然のことながら、アタクシが歩き倒している間に抜き返されたのだろう。白いマントの背中に「正義」と大書きされた人、前半に見かけたclub MY☆STARTシャツの人、スタートで近くにいた忍者装束の人等々。重い脚を引きずりながら、彼らと抜きつ抜かれつを繰り返すうちに40km到達!

脚はときどき痛むものの、ゴールまではあと2km。たかがいつもの河川敷までの往復程度、と思えば気が楽になる

あとはゴールへ向かって一直線!と踏ん張るが、行けども行けどもゴールが見えてこない。ガーミンが42km到達を知らせてもまだ見えてこない。さらにガーミンではフルマラソンの距離を突破。ここでタイムを確認すると、サブ4は確実なことがわかりホッと胸をなでおろした

ゴールはまだ~?マダァ?(・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
ガーミンではフルマラソンの距離を超えたにもかかわらず、まだゴールが見えない。しかし遠くの沿道に多くの応援の人が集まっているのが見える

さらにその奥に目をこらすとようやくゴールゲートの姿を確認することができた。あそこまで行けばもう走らなくていい!

磐城高校の応援団を横目に見ながら

ついにゴール!

36km 8:25
37km 6:06
38km 5:20
39km 5:38
40km 5:34(35-40km計31分03秒 0-40km累計3時間39分40秒)
41km 5:47
42km 5:40
42.195km 3:14(40-42.195km計14分41秒 0-42.195km累計3時間54分21秒)
※タイムはすべてガーミンFA220jによるもの。GPS計測の走行距離は42.63km

正式記録=
グロス3時間54分20秒(ネット3時間53分21秒)
マラソン男子40~49歳 287位/1292人中、総合 1078位/4936人中

ゴール後は前からやってみたかった「コースに向かって一礼」。初めてできた!

振り向くとすぐにアミノバリューとバレンタインのチョコレートが。うれしい

妙齢のフラレディがレイをかけてくれると言うので「いやーこんな美人に。テンション上がるわ〜」と軽口を叩いてみると笑いが起きた。ウケたから良し!

ボランティアの女の子に計測チップを外してもらい、記録証を受け取ってその場でブログに速報をアップ。改めてゴールタイムを確認し、敗北感に打ちひしがれる

その後荷物を受け取って、すぐに着替えた。このあたりの流れは非常にスムーズで運営のすばらしさを実感する。着替え用のテントは人でごった返していたがまあそれは仕方なかろう

前回の弘前白神アップルマラソンではゴール後も激しい痙攣に苦しみ、着替えることすらままならなかったことを思うと、今回は身体的にはかなり余裕があった。途中歩いてしまったこともあるとは思うが、今回残念な結果に終わった要因は、坐骨神経痛の発症。それに尽きると思われる

無念は無念だし、敗北感は存分に味わったが、ゴール後も妙に淡々と帰り支度を進められたのは、最初からどこかでこの結果を予想していたからかもしれない

帰る前にいただいたさんまのつみれ汁は疲れた身体に心底沁みた

そして机上の空論でしかなかったラップ表は破って小名浜の海に投げ捨てた。嘘です。ゴミ箱に捨てました(ゴミはゴミ箱へ!)

完走賞を掲げて記念撮影に興じる人たち。目標達成できたらアタクシも撮っていたかもしれないが、当然そんな気分にはなれなかった

結果としては撃沈レースではあったが、いわきサンシャインマラソンは本当に良い大会だった。何より街ぐるみでランナーを歓迎し、応援してくれているのがヒシヒシと伝わってきて温かい気持ちになれる。当日、大会名に冠された「サンシャイン」を見ることができたのがゴール後だけだったのは皮肉だが、市民の皆さんがつくりあげ、盛り上げてくれるこの大会は、タフなコースと気象条件の過酷さを割り引いても参加する価値があると思った

できたらまた来年。今度は最後まで笑って小名浜を駆け抜けたい(東京マラソン落ちたらね(-。-;)
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