徒競走の思い出
最初におことわり。支離滅裂でどんどん脱線していくエントリーですがご容赦のほどを
膝の違和感、痛みの心配がなくなるまでランは1日おき。金曜は走ったけど土曜はお休み。これは予定通り
金曜のランはキロ5分程度で5km行ったところで違和感が出たので、あとは例によってプチスピード練。1分間の歩きを挟みながら1〜3分程度頑張って走る、の繰り返し。フォームの矯正も同時進行。だんだんカタチができてきた気がする
走った後はシャワーでアイシング、ほぐ師で両脚をじっくりコロコロ。寝る前にもほぐし&ストレッチ。ほぼ習慣になってきた
金曜の夜は、会社の人の知り合いで、いわて銀河100kmで今年見事にサブ10を達成したIさんを招いての飲み会に参加。ランナー同士の熱い話を主に横で聞いていたw。いや、まあ、だってアタクシ飲めないし
Iさんの話で響いたのは2点
ひとつは、ターゲットをしっかり決めて、そこに向けて練習を積み上げていた点。Iさんは今回上り坂を頑張りどころと決めていたので、とことん上り坂の練習を積み、レース本番でも勝負!とばかりに休まず走ったとのこと。当たり前といえば当たり前の話だが、同大会を何度も走ってコースを知るIさんが、タイムを出すために考えた末出した答えだけに重みがある。これ、大腿四頭筋が死んでしまったアタクシの場合は下り坂だな。下りの練習を積んで鍛え直さないと
もうひとつは、レースや練習法とは関係ない話。Iさんは40歳を過ぎて走り始め、約10年でサブ10に到達した。50歳を過ぎても記録を伸ばし、練習の分だけ成果の出るウルトラマラソンの魅力を話してくれたのだが、アタクシの場合これはウルトラに限らず常々感じていること
Iさんが「練習は嘘をつかない」「球技などと違って、過去の運動経験は関係ない」と熱く語るのを聞くうち、妙なことを思い出した
それは小学校一年生の時の運動会。初めての徒競走は確か6人で走ったと記憶している。当時まだそこまで運動神経が悪いという自覚のなかったアタクシは、さすがに1番にはなれなくても、3番か4番くらいにはなれるだろうと思っていた。一緒に走る中には少し勉強が遅れていて、変なことばかり言うので普段からバカにされているAくんという子がいた
ところが走り出してみると、みるみるうちに他の子たちに引き離されていく。ふと周りを見ると、横にいたのは一人だけ。Aくんだ
「Aくんに負けるわけにはいかない。負けたら、明日からバカにされるのは自分だ」
今思うとサイテーだが、本気でそう思った。Aくんはいつになく真剣に歯を食いしばって走っていた。自分も負けまいと必死に走った。結果はわずかの差で5着だった
このとき自分の脚は遅いのだということを初めて自覚したアタクシは、脚が速い人に対するあこがれや嫉妬はあっても、諦めることで走ることから逃げるようになった。その後小学校から中学、高校と上がって、体育の授業の50m走でクラス最下位になっても、体力測定の1500m走で一人だけ8分近くかかってしまっても、自分は脚が遅いのだから仕方ない、そんな風にしか思わなくなった
それが今、走ることに目覚めて、自己ベストを更新するために練習に打ち込むようになっているのだから我ながら不思議だ
もちろん人それぞれが持つ素質があって、努力では埋められない能力差があることは十分承知している。しかし何10キロも走る長距離走は、どんなに素質があっても普段から練習していなければ走れない。昔、ムチャクチャ運動神経が良くて、どんな競技でもまったく敵わなかったようなヤツとでも、今同じスタートラインに立ったら勝てるかもしれない。そう思うとなんだか嬉しい。こういう昔できなかったコンプレックスというか怨念みたいなものも、アタクシの走るモチベーションになっているのかもしれない
あのときのAくんは今どうしているんだろう?もしも走っていたら、今度は勝てないかもしれないな、、、
酔っ払って盛り上がる人たちを横目で見ながら、一人シラフでそんなことを思ってしまった
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