noharraさんへ
貴殿も相当文献やら史料に当たった上で「大虐殺」を事実として受け入れているんでしょう。私も自分なりにガキの頃からいろいろ読んできた結果として「捏造に間違いない」と思ったに過ぎません
そもそも事実認定には「あった」とする客観的な証拠がなければなりません。それに対し「なかった」という証明をする必要はありません。殺人事件の裁判で「殺したという証拠はないが、殺していないという証拠もない」などと言いだしたら、裁判自体成立しないでしょう?
それでも「証言者がいる」「当事者の中から告発者が出ている」と言うんでしょう。それはそれでいいですが、事実認定を行うためにはその「証言者」の来歴や証言そのものの確度が問われることになるのは当然ですよね。でもそれは研究者の仕事。そこまで経た上で私らは「その通り」「それは違う」と判断すれば良いわけ
「焚城・屠城」について書いたのは、「中国史」という別の視点を提供してみただけ。日本史の中で「南京」を捉えると違和感だらけだが、「中国史」の流れの中で捉えれば自然だという私見なわけです
貴殿から言うと、それは「反省」の無い態度だと?または「誇り」の無い態度だと?証明を放棄して論点をすりかえていると?何度でも書くがそれを証明するのは研究者の仕事。私らはそれを引っ張ってきて所見を述べるだけです
日本軍に犯罪が無かったとは言いません。だが、それは他国の軍隊も行った程度のものに過ぎなかった、と私は思うわけです。少なくとも現在の中国政府が主張する「戦争犯罪」の数々は疑わしいものが多い。「南京」に関しても捏造の発覚した写真をしつこく「証拠」として提示し続ける人がいる。「それは捏造だよ」と指摘することに何の問題があります?しかも自分のフィールド上で
それでも反省せねばならん、と言うのですか?反省すれば平和は守られると?結局は「反省」と言いながら、現在の自分たちと過去の日本軍将兵たちを切り離し、断罪しているだけだと私は思いますが
そうでないと言うのなら、自分の日記上でそれを表明すればよいのです。私はそこにわざわざ赴いてまで噛み付こうなんて思いませんから