カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の47歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

嗚呼ハルモニ

http://www.asahi.com/international/update/0216/010.html

 旧日本軍の従軍慰安婦問題について日本政府に謝罪を求める米下院の決議案をめぐり、下院外交委員会アジア太平洋・地球環境小委員会は15日、元慰安婦3人を招いて公聴会を開いた。これに対し、加藤良三駐米大使は「日本政府はすでに謝罪している」と反論する内容の書簡を小委員長あてに提出した。

 公聴会で韓国の元慰安婦は、過酷な当時の生活を振り返り、「私は(日本政府から)謝罪を受けていない。彼らが私の前にひざまずき、心からの謝罪をするまで私は訴え続ける」と述べた。別の元慰安婦は「自殺を試みたが、見張りのために死ぬことすら出来なかった。私の青春を返してほしい」と語った。

 また、旧日本軍が占領していたインドネシア・ジャワ島に住んでいた元慰安婦は、刀を突きつけられて暴行された体験を生々しく語り、こうした女性への人権侵害が二度と起きないよう訴えた。

 提案者の一人である日系のマイク・ホンダ議員は公聴会で、93年に当時の河野洋平官房長官が軍の関与と「強制性」を認めた「河野談話」の見直しを行う動きが自民党内にあると懸念を表明。決議案を出した意図について記者団に「正しいことだからだ」と語った。

あら不思議。ハルモニ大好き朝日新聞が「勇気ある」ハルモニたちのお名前を書かないとは。どうしちゃったんでしょう?

んじゃ、本家・中央日報行ってみよか
米議会で初の‘慰安婦聴聞会’…韓国・オランダ人女性3人が証言 | Joongang Ilbo | 中央日報

水を打ったように静かだった。 涙を浮かべる米国人もいた。15日午後、米ワシントンの下院レイバーンビル2172号室。下院外務委員会アジア太平洋・環境小委が米議会史上初めて開いた‘慰安婦聴聞会’では、李容洙(イ・ヨンス、79)さん、金君子(キム・クンジャ、81)さん、ジャン・ラフ・オハーンさん(85、オランダ)の3人が、日本軍の慰安婦として連行されて受けた侮辱を生々しく証言した。200席余をぎっしり埋めた傍聴客は3時間以上続いた証言を粛然とした雰囲気の中で傾聴した。

さて、この公聴会での李容洙の証言内容がこれ

最初に証言した李容洙さんは「1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され、3年間にわたり日本軍に性的にもてあそばれた」とし「2階建ての日本風の慰安所で一日平均4、5人の日本軍に強姦され、粥で生き延び、何かあるとすぐに暴行されるなど、犬や豚よりもひどい生活をした」と証言した。日本軍によって‘トシコ’と名付けられた李さんは、性行為を拒否して電気拷問を受け、韓国語を話す度にひどく殴られた、と語った。李さんは「終戦後に家に帰ると、母は‘死んだ娘が霊になって現れた’と言い、父は鬱火病で中風になり、その年に亡くなった」と述べた。李さんは「日本政府は謝罪したと主張するが、一度も謝罪を受けたことはない。世界の性的暴行を根絶するためにも日本は必ず謝罪しなければならない」と強調した。

おお、哀号〜!昭和19年に台湾へ連れて行かれて、その後3年もなんてヒドイことを、、、ってちょっと待て。日本の敗戦は1945年8月。それ以降も日本軍「慰安婦」だったと?んなアホな

はい、次、2003年8月15日のしんぶん赤旗
終戦58周年 平和のために歴史に学び 「戦争する国」の道許さない/アジアからのリポート/韓国/11年毎週続くデモ/謝罪と補償求める「慰安婦」被害者

李容洙さんは集会で必ず叫びます。十七歳から十八歳まで、台湾の慰安所に送られました。

ずいぶん期間が違いますなあ。それに連行されたのは16歳のときじゃなかったの?ああ、もしかして船上で犯される寸前に17歳になったとか?

遡ること約1年、2002年6月26日のしんぶん赤旗
元「慰安婦」へ補償を/参院議長らに法案成立要請

 韓国の李容洙さん(74)は、十四歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけたことなどを話し、「私は歴史の生き証人として今、生きている。この法案が審議され、成立することを望む」と語りました。

今度は14歳かいな!連行したのは「軍服みたいな服を着た男」だったんじゃなかったっけ?「銃剣をつきつけられて連れて来られた」んなら、なんでそんな変な言い方をすんの?

どうやらこの方、人類初のタイムトラベラーである可能性が高い模様です

じゃ、次行ってみますか

続いて、16歳だった42年に中国に連行された金君子さんが証言した。金さんは「慰安所で一日平均20人、多い時は40人の日本軍を相手にする地獄のような生活を送った」とし、「日本軍は小さな刃物で私の体を少しずつ切りつけ、服を激しく破り、コンドームも使わず跳びかかってきた」と語った。続いて「いっそのこと死んでしまおうと思って何度も自殺を図ったが、日本軍が見張っていてそういう機会もなかった」と述べた。金さんは「45年8月の終戦で日本人が‘出て行け’と言ったので、同僚8人と畑の白菜を取って食べ、1カ月以上も歩いて家に帰った」と悲惨な帰郷過程を伝えた。 金さんは「慰安所に到着した初日、抵抗して殴られ、左耳の鼓膜が破れた。体にも多くの傷が残っている」と涙声で話した。

なんて悲惨な。日本軍人は野獣だわ〜(棒読み)

というわけで2005年6月23日北海道新聞
http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/senkanokioku/katari/03.php3

 幼いとき両親をなくした金さんは、六十数年前、日本植民地時代の韓国江原道で、養女に出された。ある日、養父から「お使いに行っておくれ」と言われて、汽車に乗せられた。女性たちがたくさんいて、兵隊の姿も見えた。

 着いたのは、中国吉林省琿春の「慰安所」。翌日から兵隊たちが小さな紙の券を手に小屋の前で列をつくった。広さは三畳ほど。堅い木の寝台に裸電球。一日三十人の相手をさせられた。「ジュンコ」と呼ばれた。十七歳だった。日本語がわからなくて、よく殴られた。ただ、「コノヤロウ」「バカヤロウ」「チョウセンジン」という単語は今でも覚えている。
(中略)
 慰安婦たち七人で朝鮮を目指して四十日間、歩き続けた。中国との国境の豆満江を手をつないで渡った。ひとりの手が離れ、流された。

これは「連行」なの?兵隊達の持っていた「小さな紙」ってもしかして軍票

終戦で日本人が「出て行け」と言ったんだよね?あれ?日本語がわからなかったんじゃなかったっけ?朝鮮語で言ったんかいな?それとも日本語覚えた?

ま、細かいことはいいや、次行こう

2005年11月の「東京の高校生 平和のつどい」
東京の高校生 平和のつどい : 暗川

私は10歳で父、14歳で母を亡くし、孤児でした。あの頃はみんなそうでしたが、大変な暮らしで、他人の家に働きに出て日銭を稼いでいましたが、16歳の時、チョロンの巡査の養女になりました。その頃、私にはボーイフレンドがいましたが、結婚できませんでした。1942年3月、養父に「お金を稼げるところがあるから」と言われて、朝鮮人の軍人に連れて行かれました。

ありゃ?養父に言われたのは「お使いに行っておくれ」だったんじゃなかったっけ?それに連れて行ったのは朝鮮人なの?

証言を総合すると、金君子は1942年3月に養父に騙され(正確に何と言われたかは不明)、朝鮮人に連れられて琿春の「慰安所」へ。源氏名は「ジュンコ」。1日に20人から40人の客をとる人気嬢(4、5人しか客の取れない誰かさんとは違うのよ!)だった模様、、、え〜、こういうのは娼婦とは言わないんでしょうか?

とまあ皮肉ってみたわけだけど、要は証言の真贋を議論しようというのではなくて、少なくとも公式の場で「証言」を取り上げる際には、証言そのものの客観的な検証を伴わない限り、そんなものは何の意味も持たない、ということが言いたいわけ

こんなもんでその阿呆決議案を採択するようなら、アメリカ議会は猿レベルということを証明するだけのこと

思うにこのホンダとかいう議員は中共のスパイじゃなかろうか?日米分断作戦の一環である可能性が高いと思うのだけど