カメラと映画と日本が好き

平成27年6月にはてなダイアリーから引っ越し。岩手県在住の45歳会社員。某マスコミに近いところ勤務。家族:相方&息子 祖国の未来を憂い、特定アジアと国内の反日分子を叩くことに燃えつつ、のほほんと写真を撮ったり映画を観たりするのを趣味とする男の日々。平成26年に突如としてランニングをはじめ、現在ドハマり中

崖の上のポニョ

というわけで公開初日に息子を実家に預けてまで観てきた宮崎駿最新作「崖の上のポニョ」。ある程度覚悟はしていたものの鑑賞後一番最初に感じたのは「なんじゃこら!?」という得体の知れない感情。とにかく宮崎駿が作った今までのどの作品にも似ていない、まったく新しい作風の映画だったのだ

言えるのはわしはこの作品中で巻き起こる事象をまったく許容できなかったこと。そしてこの映画は今年の邦画一番のヒットを目される商業作品にも関わらず、恐ろしいまでに実験的で前衛的だということだ

崖の上のポニョ [DVD]

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以下ネタバレ含みそうなので伏せる。これから観に行く人にひとつアドバイス。「ストーリーを追ってはいけない」。それは最初から放棄されてるから
人によっては「トトロ」の頃への回帰だとか、宮崎アニメの集大成だとかいう評価も為されているようだが、それは大きな勘違いだとわしは断言する。確かに絵柄やキャラクターの所作、笑わせどころの作り方などは過去の宮崎作品にも見られたものだが、映画作りの方向性というか方法論というか、それが一から十までこれまでの作品とは異なる

まずファンタジーと現実世界の境目が見えない。これまでの宮崎駿は作品中必ず「ここから先がファンタジーですよ」という一種の境界線を提示*1し、「これはファンタジーなんです。だから最初から最後まであなたは何も考える必要はありません」という(ある意味ディズニー的な)作り方を避けてきた。それは言い換えれば(そうした手法を)嫌悪していると言っても良いほど頑ななもので、一見突拍子もなく見える「ハウル」や「もののけ姫」でも一定程度守られてきた。現実世界の(あるいはそれに近似した)下地をしっかりと描いた上でのファンタジーであるからこそ信じられる、観客をその世界に引き込むことができる、というのが宮崎駿のスタンスだったはずだ

しかし「子供のため」と銘打ったこの「ポニョ」は、作品中で提示されるファンタジックな設定を(観客は)強引にでも飲み込まないと先へ進めない、という作りが随所に見受けられる。一例を挙げると作品中の人物のポニョの捉え方にそれが見える。突然自分の前に現れた「奇妙な魚?」ポニョを主人公宗介は一目見て「金魚」と認識する*2。その明らかに珍妙な「金魚」を見せても、母親は少しも驚かない。ここで観客は「ああ、ポニョはこの世界では普通の魚に見えるんだな」と一定のフィルターを通して作品を観ることとなるはずなのだが、あろうことか続く場面でポニョを見た老女の一人が「人面魚だ」などと言う。ここで観る側は完全に戸惑ってしまう。この世界の住人にとってポニョの見た目は「当たり前の魚」なのか「奇怪な生き物」なのかが判然としない。つまり、どこから先をファンタジーの領域と捉えてよいのかわからなくなってしまうのだ

これはその後の展開でも同じ。目の前で如何に非現実的な事態が起ころうとも、この世界の人々は瞬時にそれがさも当然のことであるかのように受け入れてしまう。にも関わらず前述と同じ老女は「騙されるな」と宗介を諭す。画面の中で起きる事象を観たままそのまま受け入れない限り、疑問符だけが頭の中を支配し続けるハメになる。と、ここまで思い至って「待てよ」とわしは考えた。これは正に宮崎駿の言う「子供のため(だけ)の作品」になっているのじゃないのか?社会的規範や常識的観念に囚われない子供だけが受け入れられる作品世界、これが宮崎駿の目指したものなのかも?と考えるに至り、急に合点が行ってしまった

そう考えると今までもやもやしていた不満や疑問が氷解していく。わしにとっての大きな不満点だったリサの非常識さ。子供の前で夫を呼び捨てにし、同様に子供が親を呼び捨てにしてしまっても許容する。子供を無謀な運転で危険にさらしても大して気にかけず、家が水没の危機にさらされたというのに子供を置き去りにし、ポニョなる正体不明の女児を自分の家に受け入れ食事まで供する。どれもこれも大人の目から見れば眉をひそめたくなるようなものだが、目指したものが子供だけを対象とした「(社会)常識の破壊」だと考えれば腑に落ちる。つまるところこの作品は大人が欲して子供に与えるのではない、子供自身のためだけの真の「童話」なのだ

それにしてもこの作品の主人公宗介が背負わされる運命は、いくら童話とは言えあまりに重いのではないか。魚(あの世)と人間(この世)を行き来する存在となったポニョがこの先人間として生きていくのか否か?これが宗介の意思ひとつに託されるのだ。しかも事前に親同士の話は済んでいる、という選択の余地などまったくない状態でw*3。5歳の少年にポニョの将来のすべてを引き受け、守り、愛せよと。これって酷くないか?こんなの悲劇的な結末しか待ってないと思うのだが。てな余計なことをオジさんは考えてしまったのだが、そこで映画は「ポーニョポーニョポニョ魚の子〜」という歌とともに能天気に終了してしまうのだ。あたかもバカボンのパパが「これでいいのだ!」と言うが如く、、、

鑑賞直後のわしは「宮崎駿は耄碌した」と思った。しかしもしかするとそれこそ大きな勘違いだったのかもしれない。劇場に子供を連れてくる大人たちをまったく無視し、子供だけにダイレクトに届けようという狂気じみた執念が生み出した究極の子供向け作品。それがこの「ポニョ」なのかもしれない

*1:千と千尋」でのそれは文字通りの三途の河原でしたな

*2:海で捕まえた魚をいきなり真水にさらすってどないやねん的なツッコミはひとまず置いといてw

*3:その上、最終的なトリガーとなるキスはほぼポニョの強制ww

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