日本のいちばん長い日
DVDで鑑賞。モノクロ、1967(昭和42)年の作品だが、音声の聞き取りにくいところはほとんどない。あるとすればそれは役者の活舌の問題(笑)
- 出版社/メーカー: 東宝
- 発売日: 2005/07/22
- メディア: DVD
- 購入: 3人 クリック: 295回
- この商品を含むブログ (103件) を見る
映画自体はごく淡々と史実に基づいてポツダム宣言受諾決定から玉音放送に至るまでの過程を描いたもの。日本人ならば結論のわかりきっている話であるにも関わらず、物語全体を覆う緊迫感が凄まじく、2時間半の長尺を飽きることなく一気に観られる。この緊迫感がどこから生じるのかと言えば、岡本喜八のスピード感あふれる演出もさることながら、当時のオールスターキャストによる演技合戦が紡ぎ出した「亡国」に対する焦燥であろうと思う
この作品を観ていた相方が「戦時中を舞台にした作品で、よく終戦を迎えて喜ぶ人が描かれるけど、あれって変な感じがするよね」と言ったのだが、我が相方ながら実に鋭い指摘だと思った。当時の日本人にしてみれば、欧米との戦争の敗北は「亡国」を予感させる恐怖に満ちたものだったのではないか?と思うのだ。確かに戦争が終わったことで素直に「これで空襲がなくなる」などの感情を持った人もいたとは思うが、それは思慮深い態度とは到底言えないという気がする。「誇りある帝国臣民としての地位は失われ、被支配民として生きることを強いられるかもしれない」「上陸した敵兵が略奪や乱暴を働かないという保証もない」「祖国さえ失うかもしれない」。ある程度物事のわかる人間ならば、終戦(敗戦)にはそういう恐怖と不安が伴っていたことは間違いないと思うのだ
この映画にはそれが描かれている。米英の軍門に下るくらいなら、国民と共に全滅する覚悟で戦う。そういう空気が確かに存在したことをしっかりと描いているのだ。それを狂気と言うのはたやすい。事実、鈴木貫太郎首相(笠智衆)宅を襲撃する警備隊長(天本英世)や畑中少佐、玉音放送の現場に乗り込もうとする憲兵(井川比佐志)らの行動は狂気に囚われているとしか見えない。しかし、それほどの狂気に駆り立てるだけの焦燥感が、あの時代を支配した空気だったのだということを想像した上で観るのとそうでないのとでは受ける印象がまったく異なってくる。そこにあるのは単純な反軍や反戦などでは絶対にない
こんなことを書くと「それは上層部レベルの話で、庶民の感覚は別」と言う人もいるかもしれない。だが、先行きの見えない不安という一点に絞って考えれば、終戦に伴う感情は庶民レベルでもそう変わらないのではないかとわしは思う。少なくとも諸手を挙げて喜べるような状況で無かったことは確かだろう
国民の命を守るために終戦を決断した政府首脳たちにしろ、戦争継続に活路を見出そうとした青年将校たちにしろ、純粋に国(固有の伝統、文化も含む)を愛し、守ろうとしたことに変わりはない。その思いは現代の日本人に受け継がれているのだろうか?そんなことを思わず考えさせられる力作だ